ビデオオリジナル版として出発した「呪怨」は売上こそ普通だったがその怖さが噂となり、ビデオ版で「呪怨2」が作られてそして映画化した。その後ハリウッドで3本の映画作品が制作された。(※3本目はお蔵入りになった。)

劇場版 呪怨
劇場版 呪怨

ハリウッドでリメイクされるほど当時人気となった日本のホラーの名作と言っても良い作品、ビデオ版ではばんばん幽霊である伽椰子と俊雄が出てくるのに対して、劇場版になると伽椰子の出番を減らして人が殺される場面を中心的に登場させ、俊雄だけを様々なところに登場させている。

映画「呪怨」のキャラクターたちは一般的なところでも使われてなれてしまっているとホラーとしてはあまり怖い作品とは言えないが、ホラー映画に慣れていない人ならかなりの確率でホラーとしての恐怖を味わうことができるはず。そういった方にはおすすめな昨品。


【ストーリー】

郊外にある一軒家で介護のボランティアで訪れた女子大生が家の押入れの中に一人の子供を見つける。老人にのしかかる謎の黒い影に屋根裏の物音、郊外にある一軒家に引っ越してきた家族は全員が謎の死を遂げてしまう。その家は過去に惨殺事件が起きていた。その発端となる事件で死んだ女性・佐伯伽椰子の強い怨念が呪いとなり、その家に関わった人たちに不幸が伝播していく。様々な人物の視点から恐怖を感じさせるオムニバス形式になっており、様々な登場人物が次々に消えていく。


【監督・脚本】清水崇
【公開】2003年
【時間】1時間32分

【点数】4/5(5点満点中)

公開当時なら5点満点だったが、ホラーとしての呪怨の技法やキャラクターがあまりにも一般で多用されたためにホラーとして見ることが出来なかったために1点引く。

5 … 人に紹介でした、面白さが解る映画
4 … 感性の違いはあるかもしれないが面白い映画
3 … 時間の無駄ではない映画
2 … 最後まで見ることができないこともある映画
1 … 紹介してきた人を殴りたくなる


【感想】

ホラー映画としてのクオリティはしっかりしているが、ビデオ版にあったような。狂気じみたストーリーはなく、なんとなく伽椰子もそんなことになると幽霊になって未練も残るよねというわかりやすい展開で作品が作られている。

ビデオ版の伽椰子の物語を削ってもっと幽霊の被害にあう人たちにスポットをあてて作られているために、ビデオ版にあったリング、らせんといった1998年に日本のホラーの流れを変えた作品の匂いかなり薄くなり、従来あった日本のホラー映画としてのありがちな内容に作品の印象がある。

本来なら伽椰子の狂気とドロドロしたような怨念のように人を殺していた作品だったのに劇場版になるとサクッと姿も見せずに殺してしまっている。

ビデオ作品から劇場版になったことで制作費が増えてCGを使っているが正直なところ必要だったのかと疑問も残る。ビデオ版ではホラーに慣れていない人には確実に恐怖を与えることができる作品ではあったが、劇場版になるとどうしても一般的なホラー映画としての枠をこえられていない。

しかし、利点もあるビデオ版の思いっきりの良さでばんばん幽霊を出していたために、今見るとどうしてもテンポが遅く、恐怖が笑いなってしまう。劇場版では伽椰子はほとんど姿を見せない、姿を見せても一瞬だけ見えることで恐怖の象徴としてなりたっている。

殆ど出てこない伽椰子のかわりに、ただひたすらに登場するのが子供の幽霊で剛雄だ。子供がパンツ一丁でしかも白いとそれだけでもホラーであり、それをひたらす様々な場所へ隙間を埋めるようにどこででも登場するのは伽椰子の存在を引き立てることを考えると悪くない。

問題があるとすれば、2度目見るときにはどこにいるかなと捜してしまう。1回限りのネタとなってしまう。人を襲うわけでもないためにただ現れて猫の鳴き声のマネと変な音を口から出しているだけの子供の幽霊なので恐怖の前触れとして捉えることもでき、これから怖いシーンになりますよというキャラクターにしか見えなくなる。それでも呪怨は幽霊がよく出る映画としての認識を与えてくれる重要な人物であることは間違いない。


残念なのは「呪怨」の1ではビデオ版を見ている前提のストーリーで、伽椰子の説明もなく、ラストで伽椰子がどうして怨霊になったかをほぼ説明しない。ビデオ版を見ていた人や何度か映画を見た人ならわかるが、初見で最後に出てきた男がだれなのかなぜこのようなことがわからないように作られている。


それでも作品としてはビデオ版との連続性のある作品として作られている。


【良かったシーン】

女子高生が友達悪霊となり、迫ってくる中で仏壇がある部屋へと逃げ込む、そこで仏壇の中が真っ暗となり、伽椰子が現れて女子高生をアチラ側の世界へと取り込んでします。

作中で最もよいシーンと思えるのは本来は霊を鎮める仏壇から怨霊である伽椰子がでてくるということにある。この時点で伽倻子は仏様のような神仏の力ではどうにもならない存在として扱われていて、悪霊である伽椰子をどうにかすることは誰にも出来ないということを意味している。

映像としてもかなり面白いが、仏壇からでてくるということが神仏の力ではどうにもならないという意味でなくても、死者の世界への引き込まれているという意図があることは確かだ。

この場面を見てこの映画にはどこにも救いがないということのあらわれだと思った。


作品全体として、Jホラーと呼ばれる突然画面が切り替わっての驚きによる恐怖ではなく、ジワっと湧き上がるようなホラーとしての演出と洋画のように布団の中からいきなり現れるような驚きによる恐怖の作り方とが巧く混在している。

作品を見に来る人達もひと目で分かるような恐怖の演出がビデオ版では中心となっていたが、劇場版では20年近くの歳月が立ってもホラーとしの恐怖を感じることができる作品として今でも楽しむことができる。

CGや血糊のシーンが少ないことがこの映画を今でもホラーとして見ることができる要因だろう。