鳥取県にある標高1,729mの周辺で生活する人々の生活と大山のつながりが見えてくるNHKのテレビ番組・新日本風土記の大山。
【放送】2014年10月放送
大山の角度によって見えてくる景色、富士山のように見えたり、屏風のように壁に見える角度があったりと見る方向から様々な景色を描き出す大山、そんな大山は永らく人が登ることが禁止されていた山でしたが、人が登るようになりあまりの人気に山頂がハゲてひどい状況になったことから山頂を守るという活動が始まる。その活動は1木1石運動と呼ばれ、30以上前から大山に登る人たちによって復活した光景が今の大山を作っている。
山岳信仰と地蔵信仰が混ざりあう山でもある。地蔵の姿をした神、大智明権現を崇めるようになることで、大山には大山寺の他に42もの寺院が出来たが神仏分離令によってご本尊が地蔵菩薩に変わった。それでも今も祭りでは大山寺の住職がお経を唱え、そのあとに猿田彦に先導され大智明権現を神輿に乗せて歩く。寺と神社が今も共存した祭りが行われ、今も神仏分離令の前とかわらずに大智明権現への信仰がある。
神仏を拝みに来る人のために250年以上前から大山に登る人たちを御接待しているという信仰と観光が一緒になった時代の名残が今もあり、家で御接待の料理を準備して一息坂峠で振るまわれている。
圓流院では天井に描かれている水木しげるの妖怪たちが描かれている。その絵を見ながら仏教の教えなどを語っている吉島潤承さん。43まであった寺社が7つまで減ったことからなんとか地元の人達が守ろうと圓流院を再建された。当時は住職の居ない寺で吉島潤承さんのボランティアで守り、館長兼案内人をしていた。
縁もゆかりもなく、住職でもなく妻のために地元に帰ろうと思った吉島さんが山陰側を通ったことがないから通ると大山を見てここに骨を埋めようとおもい住むようになったとのこと。
大山の麓、種原では地元のつながりとして豆腐を作りを売るわけでもなく、作ったものは地域で配っている。
雪の大山にパーキンソン病になった人が20代から登っている大山に北壁を仲間たちと登る人。
夏の夜の大神山神社奥宮、大山に登ると途中で通る神社、7月15日午前7時に「もひとり神事」が行われる。「もひとり神事」は1000年以上も続く山頂の御神水と薬草を持ち帰り御神前に捧げる神事で夜中に山道を登る。
山岳の信仰の名残として神様の目から避けるために夜に登る。女人禁制の修験の山としての名残で、大山は江戸時代には登ることは禁止されていた。
この神事は朝8時に降りてきたとのことなので、ほんとに真夜中に山を登っているとてもすごい大変な神事であることを感じさせられる。
大山の裾のに開拓されて出来た村・香取。
香取村は鳥取県西部、中国地方の秀峰大山(1,729m)の北面中腹、標高350~1,000mに広がる村である。香取の開拓は戦後に行われた土地で、土が悪く野菜を育てるには向かない土地で開拓をした人たちは農地ではなく畜産に可能性を見出した。
しかし、当時の国は食料増進を考えて畜産を禁止していた。その後、11年後に許可が出て香取での畜産は昭和40年代に軌道にのる。
大山の周辺に残るさまざまな文化、生活、生き方に大山という山が存在を見ると不思議に思う。出てくるお年寄りが大山に向かって手を合わせるという姿が日本人の古くから残る宗教観な気がする。昔の人が太陽に向かって手を合わせていたという話と同じで人の価値観が何気ない生活の中に見えてくるのでつい見たくなる。