この内容は1981年に公開された映画でリメイクについて書いてはいません。

死霊のはらわた [Blu-ray]

【 ストーリー】

アッシュたち男女5人が辺鄙な別荘で休日を過ごそうと出かける。そこの地下室で見つけたテープを再生するとそこには死霊を復活させる呪文が録音されており、面白半分に再生することで次々に悪霊によってゾンビにされてしまう。恐怖の夜をアッシュは生き残れるのか。

【 登場人物 】

アッシュ 主人公(ヘタレ)
シェリル アッシュの姉
リンダ アッシュの恋人
スコット 親友
シェリー スコットの恋人

感想と考察(ネタバレがあります)

1984年という四半世紀以上前の作品ではあるが、今の無駄に多発する同じような展開のホラー映画に比べても十分に楽しむことができるホラー映画と思える。

今も昔も変わらないストーリー無きホラー映画の基本的な展開なのだが、ホラー現象が発生するのは別荘のみで、どこぞの国のホラー映画のように恐怖がいろんな場面が起きるのではなく、同じ場所で恐怖が発生することが観客にわかりやすく恐怖と場所とその関連性とても分かりやすくなにも考えることなく見ることができる。

死霊のはらわたでは恐怖とは何か、映画を見た人は多くは5人に次々に憑依してゾンビにする悪霊に恐怖を感じることはほぼないと思われる、むしろ死霊が登場するたびにコメディホラーへと方向転換されていくきがする。

もちろんゾンビに抵抗するアッシュは全力で恐怖を感じているが演出がされているが、見ている観客にはどうしてもゾンビが怖く感じれそうにない。ゾンビが喋り、動き、死んだ振りをする、この行動もそうだがゾンビのメイクが面白く感じてしまう。

ではこの映画はホラーとして恐怖がないかと言えば見ていると恐怖を感じるシーンはたしかにある。この映画で恐怖を感じるのはゾンビが出ていないシーンで存在している。

ゾンビの出ないシーンというのは例えばゾンビから逃げて扉の先の通路の先の闇と光の演出が恐怖を強く感じさせられる。恐怖をゾンビのようなわかりやすい存在ではなく光と音を使って演出されている。

別荘に逃げ込み奥に逃げようとしたときに扉を開けて奥に行こうとするが、扉を開けた場所だけが光が当たり扉を開けた通路の先は真っ暗になっている。見ている人にはその闇の中に何があるか一切わからないという不安を与える。

そういった光と闇の演出が色々なシーンで行われており、地下室の入り口から上にカメラを向けて女性3人がのぞいている顔はくっきりと見ることができるが、天井の梁などは一切見えないようになっている。
それはただ暗いだけで天井の奥が見えないというわけではない、他のシーンでは天井の梁は見えており、3人の感じる不安を感じていることを女性たちの背景を真っ暗にすることで強調している。

音を重ね合わせての演出、意識していなかっただけだったかもしれないが、サウンドミックスによって恐怖を煽っている。地下室の扉がいきなり開くシーンでも開くまでは和やかな食事のシーンは主人公たちの会話の裏では虫の声が聞こえている。

このシーンでの音の優先順位は
1.登場人物の話
2.虫の声

となっていて

1.バックミュージック
2.登場人物の声
3.虫の声

と変わっている、登場人物の声ほうが優先されているかもしれないが場面ごとに音をいくつも重ねて恐怖を感じるシーンより強く感じさせるようになる。

映画上映の時代ではゾンビという非現実的で共感のできない恐怖よりも、暗闇による先の見えない通路や何気ない音によって映画を見ている観客が感じることのできる恐怖が仕込まれホラー映画としての楽しませてくれる。

もちろん他も恐怖を感じさせる演出もある。

例えば編集として場面転換で、悪霊に手を操られていたシーンからいきなり赤色の液体を混ぜているミキサーへと画面が切り替わる、またスコットが斧で薪を切るために振り下ろされる場面に切り替わったりするときに斧が上から下に振り下ろされるカメラ視点として視覚的な恐怖が演出されることとスコットが斧を振るシーンはスコットがシェリーを斧で切りつけるシーンを意識させられるようになっている。

演出としての反復も使われているシーンがある。

  • アッシュがリンダにネックレスと渡すときに寝たふりをするシーン
  • ゾンビになったリンダを埋めるために穴を掘っているときにゾンビのリンダがアッシュに見つからないよう死んだふりをしているシーン

二つのシーンは両方とも相手に起きている(死んでいる)ことが分からないように目を閉じたり開けたりしている。このシーンは男女や立場が変わって同じことを行っている。

同時に比較もされており、アッシュが寝たふりをしているシーンとリンダ(ゾンビ)が死んだふりをしているシーンは、目をつむっているの人物がアッシュからリンダ、ネックレスを恋人に渡すという幸せからゾンビになった恋人のリンダを埋めるという幸せから不幸へと比較されている。

不満に感じるシーンもある。
それはアッシュのゾンビに対しての煮え切らない態度は物語から少し浮いているように見える。

見た人には、アッシュがゾンビに対して行動を起こすまでゾンビを前に吹き飛ばされて戸棚の下敷きになるばかりでゾンビに立ち向かうがどうにも危機感が足りないように感じてしまう。

そんな中盤までほぼ活躍をしないアッシュ、中盤の活躍はスコットだ。アッシュは主人公だがあれでよいのかと思う。あまりの活躍しないアッシュにもどかしさすら感じてしまう。

だが、考えてみればゾンビに仲間がなったからでは立ち向かうと行動できる者はほぼいないだろう。怯えずに立ち向かっているスコットが少しおかしいと考えるとアッシュのゾンビに対しての危機感と覚悟のなさが理解できないだろうか。

アッシュがまともにゾンビに攻撃できるようになるのはシェリルがゾンビになったときもリンダが悪霊に取りつかれた時でもなく。自分の命の危機になったときからで、さらに言えば幻覚を見た時から何のためらいもなくなっている。

このアッシュは映画の主人公というよりは、私たちと同じ普通の人と同じ精神構造をしていることを意味しており、これはアッシュが感じる恐怖を観客に寄せていくようになっている。

最後のアッシュを襲った恐怖はなんだったのか。
普通に考えると悪霊が襲ってきたとも考えてしまうかもしれないですが、この襲ってきた存在が悪霊という可能性は少ないのではないだろうか。

ゾンビを倒すと同時に悪霊は滅びたと考えるといくつか可能性が映画の中でも示されていると思われる。思い出してほしいのはシェリルが森に呼び出した謎の存在がいることを、その存在は悪霊のように人の体を乗っ取るような存在ではなく、物体に影響を与えることができる存在がいるはずである。
その存在は、アッシュたちがテープを再生して復活した存在かもしくはテープに吹き込むさいに復活した存在なのかは分からないが、木もなぎ倒すような存在が間違いなくいるはずである。

または、ゾンビが滅びるときに腹から出てきた謎の手の持ち主。

といろいろな可能性が感がられるが、もっと単純に考えるならホラーとして誰も生き残らないことでホラー映画としての恐怖が演出されているだけなのかもしれない。

死霊のはらわたにはホラー映画としての深いストーリーはない、ただただホラーとして楽しめるような作品

この作品で印象に残ったシーンとして、映画が始まって最初のシーンで池の上を舐めるようにカメラ視点から主人公たちが乗っている車のシーンと切り替わるのだが、どう見ても主人公たちが悪霊の犠牲者になるものだと思わせる演出されている、主人公たちが死ぬシーンから物語が始まると思ってしまった。

だって、ホラー映画なんだから、人が死ぬシーンから始まると思うじゃないですか。