人形ホラー映画「劇場霊」は何が面白くないのかを考えさせられる映画である。 いきなりだがこの映画は見ると時間の無駄に思える。
正直言ってひどい映画で見れば見るほど面白く思えない、そんな面白くない映画ではあるが勉強になるところもあるはずだ。 それは何が映画を面白く無くすのかを教えてくれるという意味では勉強になる映画である。
他の映画を見て、面白くないと思うが何が面白くないのかわからない映画がある。まさに劇場霊もそんな映画である。映画をつまらなくする要素がいくつも詰まった映画に思えるのでそういった理由やなぜつまらないのかを考えるには止めて参考になる映画だと思う。 (内容にはネタバレが含まれております。)
ストーリー
5年間、役者をやっても売れない水樹沙羅に主役ではないが舞台に出れることになる。舞台の脚本をすべて覚えて真面目に頑張る沙羅、稽古が続く中で裏方の死亡事故が起きる。それでも稽古は続けられる中、主役の篠原葵が屋上から転落して主役であるエリザベート役が沙羅に舞い込んでくる。 努力を重ねる沙羅だが、稽古のさなか人形と目が合うことを監督に伝えると舞台を降ろされてしまう。 あの人形について調べていく中で、人形を作った児島敬一から呪われた秘密が明かされる。舞台当日についに人形によって惨劇が幕を開ける。
キャスト
水樹沙羅(島崎遥香)
野村香織(足立梨花)
篠原葵 (高田里穂)
和泉浩司(町田啓太(劇団EXILE))
児島敬一(中村育二)
錦野豪太(小市慢太郎)
感想
映画を見た後に知ったのだが企画を出したのがAKB48の秋元康なのだが、自分のところのアイドルを主役に作品を作っているのが話わかるけれども、AKB48は48人以上の人材がいるのだからもう少しましな演技のできる人はいないのかと考えてしまう。
そういいたくなるぐらいに島崎遥香の演技には作中で意識してしまい、映画に没頭できずに現実へと戻されてしまう。彼女だけが悪いのかというとそうでもなく和泉浩司を演じる劇団EXILEの町田啓太も日常シーンは気にならないがホラーシーンになると表情に恐怖が表現されていないように思える。
島崎遥香に至っては表情の演技はほぼない、無表情のシーンも恐怖しているシーンも同じような顔である。作中ではその無表情な顔が恐怖を強める場面はあるけれども常にその表情では不気味さを感じるのはその一瞬だけになっている。
ただ叫ぶシーンだけが怖がっていますよと言わんばかりのバラエティのような顔で叫ぶので興ざめしてくる。作品自体があまり怖くもない作品なのでよりその感覚が酷く感じてしまう。
主役の批判をしてしまったが、他も全員酷いかと言われるとそうではなく足立梨花や高田里穂などは島崎遥香と比較できる状況で登場するので演技がうまく見る錯覚を覚える。
比較として演技がうまく見えるので本当にこの二人の演技が上手なのか島崎遥香の演技があまりのも酷いのかが分からない。 他の登場人物たちの中にもホラー映画向けの演技ができない人がいるために、作中で演技の上手い人と下手な人が交互に出てきてホラー映画への没入感がなくなり恐怖を感じることが難しくなる。
つらつらと俳優の演技に対しての苦言を書いたが他の原因を考えるてみる
・劇場霊の予告
・監督である中田秀夫の演出
・脚本に責任
思いつく原因はこの三点が問題なのではないかと・・・ 考えるとどこにもいいとこないじゃん ・・・もう少し詳しく掘り下げていこう
劇場霊の予告の問題
予告についての問題であるが、ホラー映画が好きな人にとってはJホラーという雰囲気に重視したホラー作品の先駆けとして有名な「女優霊」という作品を押している。
この女優霊は中田秀夫の代表作の一つで、予告は劇場霊は女優霊と同レベルの作品のように演出されており、ホラー映画が好きな人に興味を持たせるようにしているために最初のハードルがとても高い場所からのスタートとなっているように思える。
まぁ、予告でハードルを上げすぎたよね。ということを言いたいのだが映画を見た人なら予告を見ていなくてもホラー映画として出来がいいとは思わないだろう。
演出を考える
冒頭の人形を破壊しようとするシーンのあと20年後という場面転換が行われるのだが、ここまでの児島敬一はテレビドラマのような過剰な演技をしており、その後の登場するシーンでは過剰な演技をしていないために冒頭の演技が演出としてわざとやっているとしか思えないのだが映画の流れとして違和感を与えて映画の流れに引っかかりを残している。
他の登場人物は普通に演技をしているのに水樹沙羅を演じる島崎遥香の常に微妙な表情と悲鳴という名の金切り声も監督の演出なのかいくら指導してもどうにもならなかったのか。
また、ホラーとしての演出も古臭く人形の首だけがでてくるシーンや人形がモンスターのように劇場にいる人を襲いだすシーンの演出があまりにも古臭く色々な光のライトを当ててさも人形がモンスターになりましたよと子供に分かりやすく説明するような演出は昔の仮面ライダーの怪人が登場するシーンのようで苦笑はあっても恐怖を感じるには程遠い。
カメラワーク
冒頭のシーンで人形によって二人の姉妹が殺されてしまう。その父親である児島敬一は悲鳴を聞きつけたのか家の中庭で大雨の中で姉妹の名前を叫んだあとに二人がいる部屋へと駆け寄るというシーンがあるのだが、姉妹が襲われる二階の窓からカメラが回転して児島敬一がいる中庭へと移るのだがここは長回しで演出されている。
映画ならではの手間のかかった撮影方法ではありが、本当にその演出が必要だったのかと思わせる。 映像でブレたり、カメラ位置が微妙にズレており、その映像からは登場人物の感情表現や関係性を感じさせない。
映像に関係性をも対していないため、そんな状態で映画になっていることを考えると演出なのかもしれないが、見ている人に違和感を与えている。 良かったと思えるシーンは児島敬一に愛に行く前に和泉浩司と水樹沙羅の二人が座って話すシーンでの二人が座る位置での距離感が二人の関係性を表している。
脚本に責任
監督の演出もどうかと思うが、脚本の内容もどうかと思える。見ているとどうしてもテレビドラマのような内容にしかおもえず、映画でやるよりもテレビでスペシャルとして放送したほうが人気があったかもしれない。
Jホラーの界隈では有名な方なのだけれども、劇場霊は人形のモンスターホラーとして人形が「ほしい、ほしい」とささやき、女性にキスをして生命力か血かわからないが口から吸い取る。
この人形と目を合わすと魅了する力でもあるのか、水樹沙羅は自ら人形へとキスをしている。 生命力らしきものを吸うのはわかるが、この人形選り好みをするらしく女性からしか吸わない。男性は襲われて殺されているのだがその中で人形を燃やそうとした和泉浩司だけは気を失うだけにとどめられており、殺されない理由が分からない。
女性だけを襲うという設定も、映画の中での劇場の演目がエリザベートという自分の若さを求めて女性を殺して血の風呂に入っていたという内容と合わせているのだろうけれども人形が女性だけを襲う理由はわからず、さらに言えば人形が動き出している理由も不明のままである。 それらしいヒントもないために考察することすらできない。
ホラー作品らしくライトが消えたり、携帯電話が通じなくなったり非常扉が開かなくなったりはしているのだけれど、終盤で人形が人をおそっているシーンでは、劇場内のライトが消えているのに廊下の電気はついていたり、監視カメラは動いていたりするので設定がチグハグに感じる。
映画としてのキャラクターや人形の設定が中途半端なためにホラーとしての恐怖を感じさせないのはいただけない。 書き終えて気づいたがもしかしたら島崎遥香の表情の演技がないのは人形のよう演技を要求されたためではないかという可能をと思いついたが少し無理な想像だろうか。
見返したら、目の大きさが変化するだけでほとんど表情が変わらないし瞬きもほとんどしないからほかの役者との違和感を残している。
まぁ、セリフは棒読みか金切り声をあげるだけだけども良いところといえば、篠原葵がマネージャーに水樹沙羅を劇から降ろしてと八つ当たりするシーンがあるのだがあれはまさに映画のキャストとして降ろしてほしいと思う見ている側の気持ちが共感する場面だ。
他に良いシーンが思いつかない。 中田秀夫監督は「仄暗い水の底から」や「リング」の監督と考えると今回の企画自体には前向きではなかったのではないかと勘ぐってしまう。