丑の刻参りの恐怖は、なぜ失速したのか。

『丑刻ニ参ル』は、序盤が良かった邦画というより、序盤の時点ではまだ「ここから怖くなるかもしれない」と期待できる作品だった。

真冬の林道、木に打ち付けられた無数の人形、見てはいけないものを見てしまった恐怖。

題材も状況もホラーとして使えるものはそろっている。

しかし、物語が進むほどに怖さは積み上がらず、「なぜそうなる?」という疑問の方が増えていく。

映画『丑刻ニ参ル』の作品情報

公開年 2015年
上映時間 98分
ジャンル ホラー
監督 川松尚良かわまつなおよし
脚本 川松尚良
製作 小浜圭太郎

主なキャスト

役名 俳優
桧山健二ひやまけんじ 小野塚勇人おのづかはやと
丑刻の女性/女性の母(写真) 白須慶子しらすけいこ
佐伯美穂さえきみほ 恒吉梨絵つねよしりえ
麻衣まい 大竹一重おおたけひとえ

映画『丑刻ニ参ル』のあらすじ

脚本家志望きゃくほんかしぼうの桧山健二は、彼女と口論になり、アパートを飛び出し。

真冬まふゆの夜道をさまよう中、健二は人気のない林道りんどうで、丑の刻参りをしている女性を偶然目撃する。

恐ろしくなって一度は逃げ出した健二でしたが、店に入って脚本を書こうとしても、なかなか題材が思い浮かびません。

そこで彼は、さっき見た異様な光景を脚本の題材にできるのではないかと思い、人形にんぎょうが打ち付けられていた場所へ戻ります。

しかし、そこで丑の刻参りをしていた女性と鉢合わせする。

健二は恐怖に駆られて逃げ出しますが、その先で出会う人々が次々とおかしくなり、やがて彼自身も追い詰められていく。

『丑刻ニ参ル』感想・ネタバレあり

丑の刻参りを見てしまった男が、のろいに追われる。

設定だけ聞けば、かなり怖い。

真冬の林道。
木に打ち付けられた無数の人形。
白い女。
そして「見てはいけないものを見てしまった」という恐怖。

『丑刻ニ参ル』は、序盤だけなら不気味な雰囲気を持ったホラーでした。

ただ、見ているうちに怖さよりも先に、ひとつの疑問が頭を支配してきます。

「この主人公、結局どこへ逃げたいんだ?」

序盤はまだ期待できた。しかし中盤から漂う「移動させられている感」

ホラーとして一番よかったのは、健二が丑の刻参りの現場へ戻り、儀式ぎしきをしていた女性に追われるあたりまで。

真冬の夜。
人気のない林道。
木々の奥に打ち付けられた無数の人形。
そして、何かに見つかってしまったという絶望的な恐怖。

このあたりまでは、かなり不気味な雰囲気が作れています。

しかし、そこから先は、健二がいったいどこへ逃げたいのかがよくわからなくなっていきます。

作中では、儀式をしていた女性に襲われたことで車の事故が起き、そのときに健二は一度警察けいさつ保護ほごされます。

しかし、警察官たちもまた怪異かいいの影響を受けたようにおかしくなり、健二を襲ってくる。

つまり、警察という現実的な逃げ場は、物語の中できちんと潰される。

そこまでは納得できる。

ただ、その後の健二の逃走とうそうには、やはり目的が見えにくい。

自分と関係のある場所や知人のところへ次々と向かうのですが、そこで何か解決策を探すわけでもなく。

誰かに助けを求めるのか。
身を隠すのか。
それとも怪異の正体に近づこうとしているのか。

その方向性が曖昧なまま、場面だけが次々と移っていく。

命の危機を感じ、関わった人たちが怪異によっておかしくなっていく、緊迫した状況のはずなのに、飲み会に誘ってきた高校時代こうこうじだい部活仲間ぶかつなかまたちと合流しようとする流れも、状況を考えるとかなり不自然に見えてしまう。

主人公が必死に追い詰められているというより、物語を次の場所へ進めるために、脚本の都合で移動させられているように見える。

妙に生々しい「救いようのない小悪党たち」

そんな中、途中で出てくるバイト先のグループの描写は妙に印象に残る。

盗みを働いていたり、女性を拉致していたり、その様子を嬉々として写真に撮っていたりと、やっていることは最低の極み。

ただ、その救いようのない馬鹿っぽさが、妙にリアルでもある。

大きな悪というより、想像力の足りない人間たちが、その場のノリでどんどん悪い方向へ進んでいく感じの彼ら。

だからこそ、彼らが怪異の犠牲ぎせいになる場面では、ホラーとしての恐怖よりも先に、「これは自業自得かもしれない」と思ってしまう。

なぜ外堀から埋める? 謎が謎を呼ぶ「呪いの遠回り」

映画全体として見ると、やはり撮りたい映像のイメージが先行しすぎて、物語の整合性が後回しになっている印象が強い。

丑の刻参りを見られた女性が、鬼になりきれず、目撃者を殺そうとする。

この動機自体は納得できる。

丑の刻参りが失敗して、その呪いの力が暴走するにしても、なぜ主人公本人ではなく、周囲の人間を優先的に襲っていくのかが本当に謎。

主人公を追っているようで、実際には関係者を順番にじわじわと片付けてから、ようやく本人のところへ向かいます。

その不可解な遠回りが、どうしても気になってしまう。

その呪いの能力を最初から主人公に直接向ければ、一瞬で終わるのではないかと。

この疑問が、最後まで画面の向こうから消えません。

不思議な現象はある。でも怖さは減っていく

丑の刻参りを見たあたりから、警察に保護されるまでは、ホラーとしてまだ頑張れると思えました。

見てはいけない儀式を見てしまう。
儀式をしていた女性に追われる。
車の事故が起きる。
警察に保護される。

ここまでは「ここからどう怖くなるのか」と期待できる流れでした。

しかし、そこから先は怖さが少しずつ減っていく。

怪異の影響で人々がゾンビのようにおかしくなったり、儀式をしていた女性がワープするように健二の後を追いかけたり、場合によっては先回りして待ち構えていたりする。

不思議な現象は起きる。

けれど、それが恐怖につながっているかというと、かなり微妙。

むしろ場面が進むたびに、怖さよりもコメディのように見えてしまいます。

しかも、コメディとして面白いわけでもないので、フォローする言葉が思いつきません。

鬼になろうとする女性の姿が、怖いというより痛々しい

さらに印象に残るのが、丑の刻参りをしていた女性の姿です。

丑の刻参りを見られてしまい、鬼になりきれなかった女性が、目的が果たせず自らの手で顔に針金を刺し、角のようなものを作ろうとする。

本来なら、異様で恐ろしい場面なのだと思う。

しかし、個人的には怖さよりも、痛々しさの方が強く感じてしまう。

鬼になるために、自分の顔にまで手を入れてしまう。

そこには呪いの恐怖というより、鬼になりたいという執着しゅうちゃくと、失敗した儀式を自分の身体で補おうとするような、ゆがんだ自己満足のようにも見える。

恐ろしい怪異というより、鬼になろうとして壊れていく人間の姿に見えてくる。

その場面は怖いというより、顔に針金をさす痛々しさと、その行動への痛ましさが、見ていて居心地の悪いものでした。

一番の疑問は、彼女の死が「呪い」とつながっていないこと

この映画で一番引っかかったのは、健二の彼女の扱いです。

彼女は心を病んでおり、健二が家を出た後に電話をしても、最初はそれに気づきながら出ようとしません。

メモを書き続けている様子から考えると、この後に自殺じさつする覚悟が揺らがないように、あえて電話に出なかったのだろうとともとれる。

ここまでは、まだ理解できる。

しかしその後、逃げ回っていた健二が、高校時代の部活仲間たちと関わる場面で、彼女に嫌がらせの電話をかけられる。

そのとき彼女は電話に出てしまい、最後の追い打ちを受けるような形になる。

そしてすべてが終わったあと、家に帰った健二は、風呂場でメモとともに自殺している彼女を見つけます。

展開としては、部活仲間たちが電話をしなければ、彼女は助かったのかもしれません。

あるいは、健二がもっと早く彼女と向き合っていれば、違う結末になったのかもしれません。

ただ、ここで大きな疑問が残ります。

彼女の死は、この映画の中心である丑の刻参りの呪いとは、ほとんど関係なく起きているように見えるのです。

もちろん、制作側としては「ホラー的な怪異がなくても、大切な人は失われる」「理不尽な出来事は日常の中にも起こる」ということを描きたかったのかもしれません。

また、丑の刻参りをしていた女性がなぜそのような行為を行っていたのかという伝わらない謎、公害こうがいによって奇形になった身体に傷を負い、その理不尽さや憎しみを抱えていることと、健二が彼女の苦しみに向き合わなかったことを重ねたかったのかもしれません。

つまり、この映画はおそらく、単なる呪いのホラーではなく、「伝えなければ思いは伝わらない」という話だったのかもしれません。

しかし、その意図が作品を見てもよくわかりません。

健二が彼女に「君が必要だった」と伝えられなかったこと。

丑の刻参りをしていた女性が何を憎み、何を目的に動いているのかわからないこと。

この2つの流れが交差しているようで、実際にはどちらも中途半端に見えてしまう。

彼女を死なせるのであれば、呪いの犠牲者として描いた方が、ホラーとしては観客の心に残っていた。

逆に、健二が人生に真正面から向き合ってこなかったことの代償として描くなら、彼女との関係をもっと丁寧に積み上げるべきだったのかもしれない。

しかし実際には、ホラーとしての呪いの流れにも、ドラマとしての喪失の流れにも、彼女の死がうまくつながらない。

悲劇的な場面のはずなのに、「この展開を入れたかったから入れた」という制作側の都合が先にあったのではないかと勘繰ってしまう。

90分あれば、呪いの話と彼女との関係の話を両方回収することはできたはず。

けれど、この映画はあれもこれも入れようとした結果、どちらの主題も薄くなってしまったのではないか。

彼女の死も、丑の刻参りをしていた女性の背景も、本来なら作品の核になり得る要素だった。

それが、どちらも十分に掘り下げられないまま終わってしまいます。

最後に残るのは恐怖でも悲しさでもなく、「結局、この映画は何を一番描きたかったのか」という疑問。

怖さよりも「なぜそうなる?」が勝ってしまう

上映時間は90分以上あるのに、説明がほしい場面の描写がとにかく雑に感じる。

逃げている最後には海岸たどりついている。

海岸には呪いにかかわる要素があるので、終着点としてはいいのかもしれないが、そこまで足を引きずって逃げているのに、何事もなくたどり着いているか。

また、鍵が掛かっていて開かなかったドアのシーンから次のカットであっさり部屋の中に入っていたりする。

そこはもう少し丁寧に見せてもよかったのではないかと思う場面が何度もありました。

その一方で、あまり必要性を感じないシーンには妙に時間を割いている。

見ている間ずっと「なぜここを省いて、こっちに時間を使ったのだろう」という疑問が頭にちらつく。

映画全体を通して、中途半端な間を感じるシーンも多い。

早送りしたいとまでは言いませんが、何度も10秒スキップしたくなる。

それくらい、場面ごとのテンポや情報量に物足りなさを感じた。

この作品は2015年の映画なので、当時の感覚ではこうした間の取り方も許されたのかもしれない。

今のようにサブスクで映画を見ることが多い時代では、視聴者は簡単に倍速再生や10秒スキップができてしまう。

それでも飛ばさず見たいと思わせるだけの密度や面白さがあればいい。

けれど、この作品にはそこまで引き止める力が弱かった。

怖がらせたい場面の絵面のイメージはあるようだが、その場面と場面をつなぐ物語の説得力が弱い。

丑の刻参りという題材も悪くありません。

主人公の逃走の目的や、呪いがどのように働いているのか、彼女の死をどう物語に結びつけるのかがもっとわかりやすければ、良い作品になったかもしれない。

しかし実際には、ホラーとして怖がる前に「なぜそうなる?」という疑問ばかりが積み重なってしまいます。

『丑刻ニ参ル』は、題材と序盤にはフラグを仕込んでいるように見えて、それを生かすこともなく、物語の不自然さによって怖さが削がれてしまう作品だった。

点数:2点

丑の刻参りを目撃してから、警察に保護されるあたりまでは、ホラーとしてまだ期待したいとはおもっていたものの。

しかし、そこから先は怖さがどんどん減っていきます。

不思議な現象はあるが、それが恐怖につながりません。

むしろ怖さよりもコメディのように見えてしまい、しかもコメディとして面白いわけではない。

物語が進むほど怖さが薄れ、最後には「なぜそうなる?」という疑問ばかりが残ってしまいました。

そのため、点数は2点です。

最後まで見るのが少しつらい映画だった。

点数の目安

5点 人に紹介できる面白さがある映画
4点 感性の違いはあるかもしれないが、面白い映画
3点 時間の無駄とは感じなかった映画
2点 最後まで見るのが少しつらい映画
1点 紹介してきた人に文句を言いたくなる映画