まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
“ゆっくり”へ向かう時代のコピー
- 昭和45年 日本国有鉄道:『ディスカバー・ジャパン』
- 昭和46年 モービル石油:『気楽に行こうよ俺たちは・・・』
- 昭和47年 日産自動車:『ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう』
- 昭和47年 伊勢丹:『こんにちは土曜日くん。』
- 昭和48年 総理府・全日本交通安全協会:『せまい日本 そんなに急いでどこへ行く』
忙しく生きることが前提だった空気から、少し違う方向へ価値観が動き始めたことが、コピーの並びからも伝わってきます。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
高度成長期の転換点:「モーレツ」から別の価値観へ
- 昭和45年 富士ゼロックス:『ビューティフル・キャンペーン』/『モーレツからビューティフルへ』
何を訴えたいのか分かりにくいのに印象に残る、という意味で象徴的な例として扱われていました。ゼロックスはプリンターのCMを「生き方のCM」として作った、という説明もありました。
“ゆっくり”へ向かう時代のコピー
- 昭和45年 日本国有鉄道:『ディスカバー・ジャパン』
- 昭和46年 モービル石油:『気楽に行こうよ俺たちは・・・』
- 昭和47年 日産自動車:『ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう』
- 昭和47年 伊勢丹:『こんにちは土曜日くん。』
- 昭和48年 総理府・全日本交通安全協会:『せまい日本 そんなに急いでどこへ行く』
忙しく生きることが前提だった空気から、少し違う方向へ価値観が動き始めたことが、コピーの並びからも伝わってきます。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
昭和の名コピー:家電・生活・娯楽へ
- 昭和29年 ライオン歯磨:『アメリカへ空の旅』(懸賞として展開)
- 昭和36年 壽屋(サントリー):『トリスを飲んでHawaiiへ行こう!』(キャンペーン)
- 昭和40年 富士写真フイルム:『私にも写せますゥ』(フジカシングル8)
- 昭和43年 森永製菓:『大きいことはいいことだ』(森永エールチョコレート)
- 昭和44年 パイロット萬年筆:『はっぱふみふみ』
特に『はっぱふみふみ』は、当時を直接知らなくても言葉だけが残っている例として印象的でした。番組では、大橋巨泉のアドリブCMが子どもたちに広まり、会社の立て直しにつながった、というエピソードも語られます。
高度成長期の転換点:「モーレツ」から別の価値観へ
- 昭和45年 富士ゼロックス:『ビューティフル・キャンペーン』/『モーレツからビューティフルへ』
何を訴えたいのか分かりにくいのに印象に残る、という意味で象徴的な例として扱われていました。ゼロックスはプリンターのCMを「生き方のCM」として作った、という説明もありました。
“ゆっくり”へ向かう時代のコピー
- 昭和45年 日本国有鉄道:『ディスカバー・ジャパン』
- 昭和46年 モービル石油:『気楽に行こうよ俺たちは・・・』
- 昭和47年 日産自動車:『ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう』
- 昭和47年 伊勢丹:『こんにちは土曜日くん。』
- 昭和48年 総理府・全日本交通安全協会:『せまい日本 そんなに急いでどこへ行く』
忙しく生きることが前提だった空気から、少し違う方向へ価値観が動き始めたことが、コピーの並びからも伝わってきます。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
食糧難の時代を映す言葉
- 昭和19年『何がなんでも カボチャを作れ』
言葉だけを見ると強すぎる印象ですが、背景を知ると当時の切実さが伝わってきます。
昭和の名コピー:家電・生活・娯楽へ
- 昭和29年 ライオン歯磨:『アメリカへ空の旅』(懸賞として展開)
- 昭和36年 壽屋(サントリー):『トリスを飲んでHawaiiへ行こう!』(キャンペーン)
- 昭和40年 富士写真フイルム:『私にも写せますゥ』(フジカシングル8)
- 昭和43年 森永製菓:『大きいことはいいことだ』(森永エールチョコレート)
- 昭和44年 パイロット萬年筆:『はっぱふみふみ』
特に『はっぱふみふみ』は、当時を直接知らなくても言葉だけが残っている例として印象的でした。番組では、大橋巨泉のアドリブCMが子どもたちに広まり、会社の立て直しにつながった、というエピソードも語られます。
高度成長期の転換点:「モーレツ」から別の価値観へ
- 昭和45年 富士ゼロックス:『ビューティフル・キャンペーン』/『モーレツからビューティフルへ』
何を訴えたいのか分かりにくいのに印象に残る、という意味で象徴的な例として扱われていました。ゼロックスはプリンターのCMを「生き方のCM」として作った、という説明もありました。
“ゆっくり”へ向かう時代のコピー
- 昭和45年 日本国有鉄道:『ディスカバー・ジャパン』
- 昭和46年 モービル石油:『気楽に行こうよ俺たちは・・・』
- 昭和47年 日産自動車:『ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう』
- 昭和47年 伊勢丹:『こんにちは土曜日くん。』
- 昭和48年 総理府・全日本交通安全協会:『せまい日本 そんなに急いでどこへ行く』
忙しく生きることが前提だった空気から、少し違う方向へ価値観が動き始めたことが、コピーの並びからも伝わってきます。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
戦後:焼け野原に残った“問いかけ”広告
戦後の首都圏に、問いかけの言葉がいくつも書かれたというエピソードが紹介されます。
- 『初戀とはナンゾヤ』
- 『角萬とは何ぞや』
- 『結婚とは何ぞや』
これは東京・大塚にある結婚式場「角萬」の広告で、若い男性よりも若い女性が多かったため、女性に向けたコピーだったという話でした。
食糧難の時代を映す言葉
- 昭和19年『何がなんでも カボチャを作れ』
言葉だけを見ると強すぎる印象ですが、背景を知ると当時の切実さが伝わってきます。
昭和の名コピー:家電・生活・娯楽へ
- 昭和29年 ライオン歯磨:『アメリカへ空の旅』(懸賞として展開)
- 昭和36年 壽屋(サントリー):『トリスを飲んでHawaiiへ行こう!』(キャンペーン)
- 昭和40年 富士写真フイルム:『私にも写せますゥ』(フジカシングル8)
- 昭和43年 森永製菓:『大きいことはいいことだ』(森永エールチョコレート)
- 昭和44年 パイロット萬年筆:『はっぱふみふみ』
特に『はっぱふみふみ』は、当時を直接知らなくても言葉だけが残っている例として印象的でした。番組では、大橋巨泉のアドリブCMが子どもたちに広まり、会社の立て直しにつながった、というエピソードも語られます。
高度成長期の転換点:「モーレツ」から別の価値観へ
- 昭和45年 富士ゼロックス:『ビューティフル・キャンペーン』/『モーレツからビューティフルへ』
何を訴えたいのか分かりにくいのに印象に残る、という意味で象徴的な例として扱われていました。ゼロックスはプリンターのCMを「生き方のCM」として作った、という説明もありました。
“ゆっくり”へ向かう時代のコピー
- 昭和45年 日本国有鉄道:『ディスカバー・ジャパン』
- 昭和46年 モービル石油:『気楽に行こうよ俺たちは・・・』
- 昭和47年 日産自動車:『ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう』
- 昭和47年 伊勢丹:『こんにちは土曜日くん。』
- 昭和48年 総理府・全日本交通安全協会:『せまい日本 そんなに急いでどこへ行く』
忙しく生きることが前提だった空気から、少し違う方向へ価値観が動き始めたことが、コピーの並びからも伝わってきます。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
戦時中:制限下でのコピー
戦時中は制限が多く、「キャッチコピーの暗黒の時代」とも呼ばれていた、という説明がありました。
- そごう:『戦時中の生活必需品はそごう』
- 江崎グリコ:『ハイ・グリコガ一バンスキデアリマス』
- 日産自動車販売:『戦勝てり 我國産車 見よ!この威力この成果』
戦後:焼け野原に残った“問いかけ”広告
戦後の首都圏に、問いかけの言葉がいくつも書かれたというエピソードが紹介されます。
- 『初戀とはナンゾヤ』
- 『角萬とは何ぞや』
- 『結婚とは何ぞや』
これは東京・大塚にある結婚式場「角萬」の広告で、若い男性よりも若い女性が多かったため、女性に向けたコピーだったという話でした。
食糧難の時代を映す言葉
- 昭和19年『何がなんでも カボチャを作れ』
言葉だけを見ると強すぎる印象ですが、背景を知ると当時の切実さが伝わってきます。
昭和の名コピー:家電・生活・娯楽へ
- 昭和29年 ライオン歯磨:『アメリカへ空の旅』(懸賞として展開)
- 昭和36年 壽屋(サントリー):『トリスを飲んでHawaiiへ行こう!』(キャンペーン)
- 昭和40年 富士写真フイルム:『私にも写せますゥ』(フジカシングル8)
- 昭和43年 森永製菓:『大きいことはいいことだ』(森永エールチョコレート)
- 昭和44年 パイロット萬年筆:『はっぱふみふみ』
特に『はっぱふみふみ』は、当時を直接知らなくても言葉だけが残っている例として印象的でした。番組では、大橋巨泉のアドリブCMが子どもたちに広まり、会社の立て直しにつながった、というエピソードも語られます。
高度成長期の転換点:「モーレツ」から別の価値観へ
- 昭和45年 富士ゼロックス:『ビューティフル・キャンペーン』/『モーレツからビューティフルへ』
何を訴えたいのか分かりにくいのに印象に残る、という意味で象徴的な例として扱われていました。ゼロックスはプリンターのCMを「生き方のCM」として作った、という説明もありました。
“ゆっくり”へ向かう時代のコピー
- 昭和45年 日本国有鉄道:『ディスカバー・ジャパン』
- 昭和46年 モービル石油:『気楽に行こうよ俺たちは・・・』
- 昭和47年 日産自動車:『ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう』
- 昭和47年 伊勢丹:『こんにちは土曜日くん。』
- 昭和48年 総理府・全日本交通安全協会:『せまい日本 そんなに急いでどこへ行く』
忙しく生きることが前提だった空気から、少し違う方向へ価値観が動き始めたことが、コピーの並びからも伝わってきます。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
コピーライターの元祖とされる人物と広告のはじまり
コピーライターの元祖と呼ばれる片岡敏郎は、自身を「アドライター」と呼んでいたと紹介されます。
- 森永ミルクキャラメル:『天下無双』+当時最強とされた横綱の手形を組み合わせた広告
- 赤玉ポートワイン:新聞に「赤玉ポートワイン」と●を載せた広告
- 日本初のヌードポスター:旅館で女優に6日間かけて少しずつ脱いでもらい制作
現代の感覚では極端に見えるものもありますが、当時の広告表現の「実験」が積み重なっていった流れが伝わってきます。
戦時中:制限下でのコピー
戦時中は制限が多く、「キャッチコピーの暗黒の時代」とも呼ばれていた、という説明がありました。
- そごう:『戦時中の生活必需品はそごう』
- 江崎グリコ:『ハイ・グリコガ一バンスキデアリマス』
- 日産自動車販売:『戦勝てり 我國産車 見よ!この威力この成果』
戦後:焼け野原に残った“問いかけ”広告
戦後の首都圏に、問いかけの言葉がいくつも書かれたというエピソードが紹介されます。
- 『初戀とはナンゾヤ』
- 『角萬とは何ぞや』
- 『結婚とは何ぞや』
これは東京・大塚にある結婚式場「角萬」の広告で、若い男性よりも若い女性が多かったため、女性に向けたコピーだったという話でした。
食糧難の時代を映す言葉
- 昭和19年『何がなんでも カボチャを作れ』
言葉だけを見ると強すぎる印象ですが、背景を知ると当時の切実さが伝わってきます。
昭和の名コピー:家電・生活・娯楽へ
- 昭和29年 ライオン歯磨:『アメリカへ空の旅』(懸賞として展開)
- 昭和36年 壽屋(サントリー):『トリスを飲んでHawaiiへ行こう!』(キャンペーン)
- 昭和40年 富士写真フイルム:『私にも写せますゥ』(フジカシングル8)
- 昭和43年 森永製菓:『大きいことはいいことだ』(森永エールチョコレート)
- 昭和44年 パイロット萬年筆:『はっぱふみふみ』
特に『はっぱふみふみ』は、当時を直接知らなくても言葉だけが残っている例として印象的でした。番組では、大橋巨泉のアドリブCMが子どもたちに広まり、会社の立て直しにつながった、というエピソードも語られます。
高度成長期の転換点:「モーレツ」から別の価値観へ
- 昭和45年 富士ゼロックス:『ビューティフル・キャンペーン』/『モーレツからビューティフルへ』
何を訴えたいのか分かりにくいのに印象に残る、という意味で象徴的な例として扱われていました。ゼロックスはプリンターのCMを「生き方のCM」として作った、という説明もありました。
“ゆっくり”へ向かう時代のコピー
- 昭和45年 日本国有鉄道:『ディスカバー・ジャパン』
- 昭和46年 モービル石油:『気楽に行こうよ俺たちは・・・』
- 昭和47年 日産自動車:『ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう』
- 昭和47年 伊勢丹:『こんにちは土曜日くん。』
- 昭和48年 総理府・全日本交通安全協会:『せまい日本 そんなに急いでどこへ行く』
忙しく生きることが前提だった空気から、少し違う方向へ価値観が動き始めたことが、コピーの並びからも伝わってきます。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
番組で紹介された「伝説の名キャッチコピー」
コピーライターの元祖とされる人物と広告のはじまり
コピーライターの元祖と呼ばれる片岡敏郎は、自身を「アドライター」と呼んでいたと紹介されます。
- 森永ミルクキャラメル:『天下無双』+当時最強とされた横綱の手形を組み合わせた広告
- 赤玉ポートワイン:新聞に「赤玉ポートワイン」と●を載せた広告
- 日本初のヌードポスター:旅館で女優に6日間かけて少しずつ脱いでもらい制作
現代の感覚では極端に見えるものもありますが、当時の広告表現の「実験」が積み重なっていった流れが伝わってきます。
戦時中:制限下でのコピー
戦時中は制限が多く、「キャッチコピーの暗黒の時代」とも呼ばれていた、という説明がありました。
- そごう:『戦時中の生活必需品はそごう』
- 江崎グリコ:『ハイ・グリコガ一バンスキデアリマス』
- 日産自動車販売:『戦勝てり 我國産車 見よ!この威力この成果』
戦後:焼け野原に残った“問いかけ”広告
戦後の首都圏に、問いかけの言葉がいくつも書かれたというエピソードが紹介されます。
- 『初戀とはナンゾヤ』
- 『角萬とは何ぞや』
- 『結婚とは何ぞや』
これは東京・大塚にある結婚式場「角萬」の広告で、若い男性よりも若い女性が多かったため、女性に向けたコピーだったという話でした。
食糧難の時代を映す言葉
- 昭和19年『何がなんでも カボチャを作れ』
言葉だけを見ると強すぎる印象ですが、背景を知ると当時の切実さが伝わってきます。
昭和の名コピー:家電・生活・娯楽へ
- 昭和29年 ライオン歯磨:『アメリカへ空の旅』(懸賞として展開)
- 昭和36年 壽屋(サントリー):『トリスを飲んでHawaiiへ行こう!』(キャンペーン)
- 昭和40年 富士写真フイルム:『私にも写せますゥ』(フジカシングル8)
- 昭和43年 森永製菓:『大きいことはいいことだ』(森永エールチョコレート)
- 昭和44年 パイロット萬年筆:『はっぱふみふみ』
特に『はっぱふみふみ』は、当時を直接知らなくても言葉だけが残っている例として印象的でした。番組では、大橋巨泉のアドリブCMが子どもたちに広まり、会社の立て直しにつながった、というエピソードも語られます。
高度成長期の転換点:「モーレツ」から別の価値観へ
- 昭和45年 富士ゼロックス:『ビューティフル・キャンペーン』/『モーレツからビューティフルへ』
何を訴えたいのか分かりにくいのに印象に残る、という意味で象徴的な例として扱われていました。ゼロックスはプリンターのCMを「生き方のCM」として作った、という説明もありました。
“ゆっくり”へ向かう時代のコピー
- 昭和45年 日本国有鉄道:『ディスカバー・ジャパン』
- 昭和46年 モービル石油:『気楽に行こうよ俺たちは・・・』
- 昭和47年 日産自動車:『ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう』
- 昭和47年 伊勢丹:『こんにちは土曜日くん。』
- 昭和48年 総理府・全日本交通安全協会:『せまい日本 そんなに急いでどこへ行く』
忙しく生きることが前提だった空気から、少し違う方向へ価値観が動き始めたことが、コピーの並びからも伝わってきます。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
見どころ
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと昔から使われていた——その事実に驚かされる回でした。
時代背景とセットで見ると、当時の空気に合わせて言葉が作られてきたことがよく分かります。一方で、昔から続くコピーが今も語られていることを考えると、長い時間の中で社会の「継続性」が保たれてきた面も感じます。
また、言葉のインパクトが強すぎて、商品よりコピーだけが記憶に残っている例も多く、広告としての成功とは何か、という点も自然と考えさせられました。
番組で紹介された「伝説の名キャッチコピー」
コピーライターの元祖とされる人物と広告のはじまり
コピーライターの元祖と呼ばれる片岡敏郎は、自身を「アドライター」と呼んでいたと紹介されます。
- 森永ミルクキャラメル:『天下無双』+当時最強とされた横綱の手形を組み合わせた広告
- 赤玉ポートワイン:新聞に「赤玉ポートワイン」と●を載せた広告
- 日本初のヌードポスター:旅館で女優に6日間かけて少しずつ脱いでもらい制作
現代の感覚では極端に見えるものもありますが、当時の広告表現の「実験」が積み重なっていった流れが伝わってきます。
戦時中:制限下でのコピー
戦時中は制限が多く、「キャッチコピーの暗黒の時代」とも呼ばれていた、という説明がありました。
- そごう:『戦時中の生活必需品はそごう』
- 江崎グリコ:『ハイ・グリコガ一バンスキデアリマス』
- 日産自動車販売:『戦勝てり 我國産車 見よ!この威力この成果』
戦後:焼け野原に残った“問いかけ”広告
戦後の首都圏に、問いかけの言葉がいくつも書かれたというエピソードが紹介されます。
- 『初戀とはナンゾヤ』
- 『角萬とは何ぞや』
- 『結婚とは何ぞや』
これは東京・大塚にある結婚式場「角萬」の広告で、若い男性よりも若い女性が多かったため、女性に向けたコピーだったという話でした。
食糧難の時代を映す言葉
- 昭和19年『何がなんでも カボチャを作れ』
言葉だけを見ると強すぎる印象ですが、背景を知ると当時の切実さが伝わってきます。
昭和の名コピー:家電・生活・娯楽へ
- 昭和29年 ライオン歯磨:『アメリカへ空の旅』(懸賞として展開)
- 昭和36年 壽屋(サントリー):『トリスを飲んでHawaiiへ行こう!』(キャンペーン)
- 昭和40年 富士写真フイルム:『私にも写せますゥ』(フジカシングル8)
- 昭和43年 森永製菓:『大きいことはいいことだ』(森永エールチョコレート)
- 昭和44年 パイロット萬年筆:『はっぱふみふみ』
特に『はっぱふみふみ』は、当時を直接知らなくても言葉だけが残っている例として印象的でした。番組では、大橋巨泉のアドリブCMが子どもたちに広まり、会社の立て直しにつながった、というエピソードも語られます。
高度成長期の転換点:「モーレツ」から別の価値観へ
- 昭和45年 富士ゼロックス:『ビューティフル・キャンペーン』/『モーレツからビューティフルへ』
何を訴えたいのか分かりにくいのに印象に残る、という意味で象徴的な例として扱われていました。ゼロックスはプリンターのCMを「生き方のCM」として作った、という説明もありました。
“ゆっくり”へ向かう時代のコピー
- 昭和45年 日本国有鉄道:『ディスカバー・ジャパン』
- 昭和46年 モービル石油:『気楽に行こうよ俺たちは・・・』
- 昭和47年 日産自動車:『ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう』
- 昭和47年 伊勢丹:『こんにちは土曜日くん。』
- 昭和48年 総理府・全日本交通安全協会:『せまい日本 そんなに急いでどこへ行く』
忙しく生きることが前提だった空気から、少し違う方向へ価値観が動き始めたことが、コピーの並びからも伝わってきます。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
あらすじ
キャッチコピーは、その時代の価値観や空気を短い言葉に封じ込めた「記録」のようなものです。
番組では、戦前・戦中から戦後、高度経済成長期、昭和後期、そして平成の時代まで、印象に残る名コピーをたどりながら、言葉が生まれた背景と人々の暮らしの変化を振り返っていきます。
見どころ
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと昔から使われていた——その事実に驚かされる回でした。
時代背景とセットで見ると、当時の空気に合わせて言葉が作られてきたことがよく分かります。一方で、昔から続くコピーが今も語られていることを考えると、長い時間の中で社会の「継続性」が保たれてきた面も感じます。
また、言葉のインパクトが強すぎて、商品よりコピーだけが記憶に残っている例も多く、広告としての成功とは何か、という点も自然と考えさせられました。
番組で紹介された「伝説の名キャッチコピー」
コピーライターの元祖とされる人物と広告のはじまり
コピーライターの元祖と呼ばれる片岡敏郎は、自身を「アドライター」と呼んでいたと紹介されます。
- 森永ミルクキャラメル:『天下無双』+当時最強とされた横綱の手形を組み合わせた広告
- 赤玉ポートワイン:新聞に「赤玉ポートワイン」と●を載せた広告
- 日本初のヌードポスター:旅館で女優に6日間かけて少しずつ脱いでもらい制作
現代の感覚では極端に見えるものもありますが、当時の広告表現の「実験」が積み重なっていった流れが伝わってきます。
戦時中:制限下でのコピー
戦時中は制限が多く、「キャッチコピーの暗黒の時代」とも呼ばれていた、という説明がありました。
- そごう:『戦時中の生活必需品はそごう』
- 江崎グリコ:『ハイ・グリコガ一バンスキデアリマス』
- 日産自動車販売:『戦勝てり 我國産車 見よ!この威力この成果』
戦後:焼け野原に残った“問いかけ”広告
戦後の首都圏に、問いかけの言葉がいくつも書かれたというエピソードが紹介されます。
- 『初戀とはナンゾヤ』
- 『角萬とは何ぞや』
- 『結婚とは何ぞや』
これは東京・大塚にある結婚式場「角萬」の広告で、若い男性よりも若い女性が多かったため、女性に向けたコピーだったという話でした。
食糧難の時代を映す言葉
- 昭和19年『何がなんでも カボチャを作れ』
言葉だけを見ると強すぎる印象ですが、背景を知ると当時の切実さが伝わってきます。
昭和の名コピー:家電・生活・娯楽へ
- 昭和29年 ライオン歯磨:『アメリカへ空の旅』(懸賞として展開)
- 昭和36年 壽屋(サントリー):『トリスを飲んでHawaiiへ行こう!』(キャンペーン)
- 昭和40年 富士写真フイルム:『私にも写せますゥ』(フジカシングル8)
- 昭和43年 森永製菓:『大きいことはいいことだ』(森永エールチョコレート)
- 昭和44年 パイロット萬年筆:『はっぱふみふみ』
特に『はっぱふみふみ』は、当時を直接知らなくても言葉だけが残っている例として印象的でした。番組では、大橋巨泉のアドリブCMが子どもたちに広まり、会社の立て直しにつながった、というエピソードも語られます。
高度成長期の転換点:「モーレツ」から別の価値観へ
- 昭和45年 富士ゼロックス:『ビューティフル・キャンペーン』/『モーレツからビューティフルへ』
何を訴えたいのか分かりにくいのに印象に残る、という意味で象徴的な例として扱われていました。ゼロックスはプリンターのCMを「生き方のCM」として作った、という説明もありました。
“ゆっくり”へ向かう時代のコピー
- 昭和45年 日本国有鉄道:『ディスカバー・ジャパン』
- 昭和46年 モービル石油:『気楽に行こうよ俺たちは・・・』
- 昭和47年 日産自動車:『ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう』
- 昭和47年 伊勢丹:『こんにちは土曜日くん。』
- 昭和48年 総理府・全日本交通安全協会:『せまい日本 そんなに急いでどこへ行く』
忙しく生きることが前提だった空気から、少し違う方向へ価値観が動き始めたことが、コピーの並びからも伝わってきます。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
本日のお客様
- 岡田芳郎:思い出のキャッチコピー=西武百貨店『おいしい生活。』(糸井重里)
- やくみつる:思い出のキャッチコピー=桃屋『何はなくとも江戸むらさき』
あらすじ
キャッチコピーは、その時代の価値観や空気を短い言葉に封じ込めた「記録」のようなものです。
番組では、戦前・戦中から戦後、高度経済成長期、昭和後期、そして平成の時代まで、印象に残る名コピーをたどりながら、言葉が生まれた背景と人々の暮らしの変化を振り返っていきます。
見どころ
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと昔から使われていた——その事実に驚かされる回でした。
時代背景とセットで見ると、当時の空気に合わせて言葉が作られてきたことがよく分かります。一方で、昔から続くコピーが今も語られていることを考えると、長い時間の中で社会の「継続性」が保たれてきた面も感じます。
また、言葉のインパクトが強すぎて、商品よりコピーだけが記憶に残っている例も多く、広告としての成功とは何か、という点も自然と考えさせられました。
番組で紹介された「伝説の名キャッチコピー」
コピーライターの元祖とされる人物と広告のはじまり
コピーライターの元祖と呼ばれる片岡敏郎は、自身を「アドライター」と呼んでいたと紹介されます。
- 森永ミルクキャラメル:『天下無双』+当時最強とされた横綱の手形を組み合わせた広告
- 赤玉ポートワイン:新聞に「赤玉ポートワイン」と●を載せた広告
- 日本初のヌードポスター:旅館で女優に6日間かけて少しずつ脱いでもらい制作
現代の感覚では極端に見えるものもありますが、当時の広告表現の「実験」が積み重なっていった流れが伝わってきます。
戦時中:制限下でのコピー
戦時中は制限が多く、「キャッチコピーの暗黒の時代」とも呼ばれていた、という説明がありました。
- そごう:『戦時中の生活必需品はそごう』
- 江崎グリコ:『ハイ・グリコガ一バンスキデアリマス』
- 日産自動車販売:『戦勝てり 我國産車 見よ!この威力この成果』
戦後:焼け野原に残った“問いかけ”広告
戦後の首都圏に、問いかけの言葉がいくつも書かれたというエピソードが紹介されます。
- 『初戀とはナンゾヤ』
- 『角萬とは何ぞや』
- 『結婚とは何ぞや』
これは東京・大塚にある結婚式場「角萬」の広告で、若い男性よりも若い女性が多かったため、女性に向けたコピーだったという話でした。
食糧難の時代を映す言葉
- 昭和19年『何がなんでも カボチャを作れ』
言葉だけを見ると強すぎる印象ですが、背景を知ると当時の切実さが伝わってきます。
昭和の名コピー:家電・生活・娯楽へ
- 昭和29年 ライオン歯磨:『アメリカへ空の旅』(懸賞として展開)
- 昭和36年 壽屋(サントリー):『トリスを飲んでHawaiiへ行こう!』(キャンペーン)
- 昭和40年 富士写真フイルム:『私にも写せますゥ』(フジカシングル8)
- 昭和43年 森永製菓:『大きいことはいいことだ』(森永エールチョコレート)
- 昭和44年 パイロット萬年筆:『はっぱふみふみ』
特に『はっぱふみふみ』は、当時を直接知らなくても言葉だけが残っている例として印象的でした。番組では、大橋巨泉のアドリブCMが子どもたちに広まり、会社の立て直しにつながった、というエピソードも語られます。
高度成長期の転換点:「モーレツ」から別の価値観へ
- 昭和45年 富士ゼロックス:『ビューティフル・キャンペーン』/『モーレツからビューティフルへ』
何を訴えたいのか分かりにくいのに印象に残る、という意味で象徴的な例として扱われていました。ゼロックスはプリンターのCMを「生き方のCM」として作った、という説明もありました。
“ゆっくり”へ向かう時代のコピー
- 昭和45年 日本国有鉄道:『ディスカバー・ジャパン』
- 昭和46年 モービル石油:『気楽に行こうよ俺たちは・・・』
- 昭和47年 日産自動車:『ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう』
- 昭和47年 伊勢丹:『こんにちは土曜日くん。』
- 昭和48年 総理府・全日本交通安全協会:『せまい日本 そんなに急いでどこへ行く』
忙しく生きることが前提だった空気から、少し違う方向へ価値観が動き始めたことが、コピーの並びからも伝わってきます。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
作品基本情報
【番組タイトル】武田鉄矢の昭和は輝いていた
【サブタイトル】伝説の名キャッチコピー
【放送日】2018年8月31日
本日のお客様
- 岡田芳郎:思い出のキャッチコピー=西武百貨店『おいしい生活。』(糸井重里)
- やくみつる:思い出のキャッチコピー=桃屋『何はなくとも江戸むらさき』
あらすじ
キャッチコピーは、その時代の価値観や空気を短い言葉に封じ込めた「記録」のようなものです。
番組では、戦前・戦中から戦後、高度経済成長期、昭和後期、そして平成の時代まで、印象に残る名コピーをたどりながら、言葉が生まれた背景と人々の暮らしの変化を振り返っていきます。
見どころ
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと昔から使われていた——その事実に驚かされる回でした。
時代背景とセットで見ると、当時の空気に合わせて言葉が作られてきたことがよく分かります。一方で、昔から続くコピーが今も語られていることを考えると、長い時間の中で社会の「継続性」が保たれてきた面も感じます。
また、言葉のインパクトが強すぎて、商品よりコピーだけが記憶に残っている例も多く、広告としての成功とは何か、という点も自然と考えさせられました。
番組で紹介された「伝説の名キャッチコピー」
コピーライターの元祖とされる人物と広告のはじまり
コピーライターの元祖と呼ばれる片岡敏郎は、自身を「アドライター」と呼んでいたと紹介されます。
- 森永ミルクキャラメル:『天下無双』+当時最強とされた横綱の手形を組み合わせた広告
- 赤玉ポートワイン:新聞に「赤玉ポートワイン」と●を載せた広告
- 日本初のヌードポスター:旅館で女優に6日間かけて少しずつ脱いでもらい制作
現代の感覚では極端に見えるものもありますが、当時の広告表現の「実験」が積み重なっていった流れが伝わってきます。
戦時中:制限下でのコピー
戦時中は制限が多く、「キャッチコピーの暗黒の時代」とも呼ばれていた、という説明がありました。
- そごう:『戦時中の生活必需品はそごう』
- 江崎グリコ:『ハイ・グリコガ一バンスキデアリマス』
- 日産自動車販売:『戦勝てり 我國産車 見よ!この威力この成果』
戦後:焼け野原に残った“問いかけ”広告
戦後の首都圏に、問いかけの言葉がいくつも書かれたというエピソードが紹介されます。
- 『初戀とはナンゾヤ』
- 『角萬とは何ぞや』
- 『結婚とは何ぞや』
これは東京・大塚にある結婚式場「角萬」の広告で、若い男性よりも若い女性が多かったため、女性に向けたコピーだったという話でした。
食糧難の時代を映す言葉
- 昭和19年『何がなんでも カボチャを作れ』
言葉だけを見ると強すぎる印象ですが、背景を知ると当時の切実さが伝わってきます。
昭和の名コピー:家電・生活・娯楽へ
- 昭和29年 ライオン歯磨:『アメリカへ空の旅』(懸賞として展開)
- 昭和36年 壽屋(サントリー):『トリスを飲んでHawaiiへ行こう!』(キャンペーン)
- 昭和40年 富士写真フイルム:『私にも写せますゥ』(フジカシングル8)
- 昭和43年 森永製菓:『大きいことはいいことだ』(森永エールチョコレート)
- 昭和44年 パイロット萬年筆:『はっぱふみふみ』
特に『はっぱふみふみ』は、当時を直接知らなくても言葉だけが残っている例として印象的でした。番組では、大橋巨泉のアドリブCMが子どもたちに広まり、会社の立て直しにつながった、というエピソードも語られます。
高度成長期の転換点:「モーレツ」から別の価値観へ
- 昭和45年 富士ゼロックス:『ビューティフル・キャンペーン』/『モーレツからビューティフルへ』
何を訴えたいのか分かりにくいのに印象に残る、という意味で象徴的な例として扱われていました。ゼロックスはプリンターのCMを「生き方のCM」として作った、という説明もありました。
“ゆっくり”へ向かう時代のコピー
- 昭和45年 日本国有鉄道:『ディスカバー・ジャパン』
- 昭和46年 モービル石油:『気楽に行こうよ俺たちは・・・』
- 昭和47年 日産自動車:『ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう』
- 昭和47年 伊勢丹:『こんにちは土曜日くん。』
- 昭和48年 総理府・全日本交通安全協会:『せまい日本 そんなに急いでどこへ行く』
忙しく生きることが前提だった空気から、少し違う方向へ価値観が動き始めたことが、コピーの並びからも伝わってきます。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
昔聞いたはずのキャッチコピーが、なぜ今でも頭に残っているのでしょうか。
この記事では、BSテレ東『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回の内容を整理し、落ち着いた感想をまとめます。
言葉の背景を知ると、キャッチコピーの面白さが少し違って見えてきます。
作品基本情報
【番組タイトル】武田鉄矢の昭和は輝いていた
【サブタイトル】伝説の名キャッチコピー
【放送日】2018年8月31日
本日のお客様
- 岡田芳郎:思い出のキャッチコピー=西武百貨店『おいしい生活。』(糸井重里)
- やくみつる:思い出のキャッチコピー=桃屋『何はなくとも江戸むらさき』
あらすじ
キャッチコピーは、その時代の価値観や空気を短い言葉に封じ込めた「記録」のようなものです。
番組では、戦前・戦中から戦後、高度経済成長期、昭和後期、そして平成の時代まで、印象に残る名コピーをたどりながら、言葉が生まれた背景と人々の暮らしの変化を振り返っていきます。
見どころ
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと昔から使われていた——その事実に驚かされる回でした。
時代背景とセットで見ると、当時の空気に合わせて言葉が作られてきたことがよく分かります。一方で、昔から続くコピーが今も語られていることを考えると、長い時間の中で社会の「継続性」が保たれてきた面も感じます。
また、言葉のインパクトが強すぎて、商品よりコピーだけが記憶に残っている例も多く、広告としての成功とは何か、という点も自然と考えさせられました。
番組で紹介された「伝説の名キャッチコピー」
コピーライターの元祖とされる人物と広告のはじまり
コピーライターの元祖と呼ばれる片岡敏郎は、自身を「アドライター」と呼んでいたと紹介されます。
- 森永ミルクキャラメル:『天下無双』+当時最強とされた横綱の手形を組み合わせた広告
- 赤玉ポートワイン:新聞に「赤玉ポートワイン」と●を載せた広告
- 日本初のヌードポスター:旅館で女優に6日間かけて少しずつ脱いでもらい制作
現代の感覚では極端に見えるものもありますが、当時の広告表現の「実験」が積み重なっていった流れが伝わってきます。
戦時中:制限下でのコピー
戦時中は制限が多く、「キャッチコピーの暗黒の時代」とも呼ばれていた、という説明がありました。
- そごう:『戦時中の生活必需品はそごう』
- 江崎グリコ:『ハイ・グリコガ一バンスキデアリマス』
- 日産自動車販売:『戦勝てり 我國産車 見よ!この威力この成果』
戦後:焼け野原に残った“問いかけ”広告
戦後の首都圏に、問いかけの言葉がいくつも書かれたというエピソードが紹介されます。
- 『初戀とはナンゾヤ』
- 『角萬とは何ぞや』
- 『結婚とは何ぞや』
これは東京・大塚にある結婚式場「角萬」の広告で、若い男性よりも若い女性が多かったため、女性に向けたコピーだったという話でした。
食糧難の時代を映す言葉
- 昭和19年『何がなんでも カボチャを作れ』
言葉だけを見ると強すぎる印象ですが、背景を知ると当時の切実さが伝わってきます。
昭和の名コピー:家電・生活・娯楽へ
- 昭和29年 ライオン歯磨:『アメリカへ空の旅』(懸賞として展開)
- 昭和36年 壽屋(サントリー):『トリスを飲んでHawaiiへ行こう!』(キャンペーン)
- 昭和40年 富士写真フイルム:『私にも写せますゥ』(フジカシングル8)
- 昭和43年 森永製菓:『大きいことはいいことだ』(森永エールチョコレート)
- 昭和44年 パイロット萬年筆:『はっぱふみふみ』
特に『はっぱふみふみ』は、当時を直接知らなくても言葉だけが残っている例として印象的でした。番組では、大橋巨泉のアドリブCMが子どもたちに広まり、会社の立て直しにつながった、というエピソードも語られます。
高度成長期の転換点:「モーレツ」から別の価値観へ
- 昭和45年 富士ゼロックス:『ビューティフル・キャンペーン』/『モーレツからビューティフルへ』
何を訴えたいのか分かりにくいのに印象に残る、という意味で象徴的な例として扱われていました。ゼロックスはプリンターのCMを「生き方のCM」として作った、という説明もありました。
“ゆっくり”へ向かう時代のコピー
- 昭和45年 日本国有鉄道:『ディスカバー・ジャパン』
- 昭和46年 モービル石油:『気楽に行こうよ俺たちは・・・』
- 昭和47年 日産自動車:『ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう』
- 昭和47年 伊勢丹:『こんにちは土曜日くん。』
- 昭和48年 総理府・全日本交通安全協会:『せまい日本 そんなに急いでどこへ行く』
忙しく生きることが前提だった空気から、少し違う方向へ価値観が動き始めたことが、コピーの並びからも伝わってきます。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
昔聞いたはずのキャッチコピーが、なぜ今でも頭に残っているのでしょうか。
この記事では、BSテレ東『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回の内容を整理し、落ち着いた感想をまとめます。
言葉の背景を知ると、キャッチコピーの面白さが少し違って見えてきます。
作品基本情報
【番組タイトル】武田鉄矢の昭和は輝いていた
【サブタイトル】伝説の名キャッチコピー
【放送日】2018年8月31日
本日のお客様
- 岡田芳郎:思い出のキャッチコピー=西武百貨店『おいしい生活。』(糸井重里)
- やくみつる:思い出のキャッチコピー=桃屋『何はなくとも江戸むらさき』
あらすじ
キャッチコピーは、その時代の価値観や空気を短い言葉に封じ込めた「記録」のようなものです。
番組では、戦前・戦中から戦後、高度経済成長期、昭和後期、そして平成の時代まで、印象に残る名コピーをたどりながら、言葉が生まれた背景と人々の暮らしの変化を振り返っていきます。
見どころ
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと昔から使われていた——その事実に驚かされる回でした。
時代背景とセットで見ると、当時の空気に合わせて言葉が作られてきたことがよく分かります。一方で、昔から続くコピーが今も語られていることを考えると、長い時間の中で社会の「継続性」が保たれてきた面も感じます。
また、言葉のインパクトが強すぎて、商品よりコピーだけが記憶に残っている例も多く、広告としての成功とは何か、という点も自然と考えさせられました。
番組で紹介された「伝説の名キャッチコピー」
コピーライターの元祖とされる人物と広告のはじまり
コピーライターの元祖と呼ばれる片岡敏郎は、自身を「アドライター」と呼んでいたと紹介されます。
- 森永ミルクキャラメル:『天下無双』+当時最強とされた横綱の手形を組み合わせた広告
- 赤玉ポートワイン:新聞に「赤玉ポートワイン」と●を載せた広告
- 日本初のヌードポスター:旅館で女優に6日間かけて少しずつ脱いでもらい制作
現代の感覚では極端に見えるものもありますが、当時の広告表現の「実験」が積み重なっていった流れが伝わってきます。
戦時中:制限下でのコピー
戦時中は制限が多く、「キャッチコピーの暗黒の時代」とも呼ばれていた、という説明がありました。
- そごう:『戦時中の生活必需品はそごう』
- 江崎グリコ:『ハイ・グリコガ一バンスキデアリマス』
- 日産自動車販売:『戦勝てり 我國産車 見よ!この威力この成果』
戦後:焼け野原に残った“問いかけ”広告
戦後の首都圏に、問いかけの言葉がいくつも書かれたというエピソードが紹介されます。
- 『初戀とはナンゾヤ』
- 『角萬とは何ぞや』
- 『結婚とは何ぞや』
これは東京・大塚にある結婚式場「角萬」の広告で、若い男性よりも若い女性が多かったため、女性に向けたコピーだったという話でした。
食糧難の時代を映す言葉
- 昭和19年『何がなんでも カボチャを作れ』
言葉だけを見ると強すぎる印象ですが、背景を知ると当時の切実さが伝わってきます。
昭和の名コピー:家電・生活・娯楽へ
- 昭和29年 ライオン歯磨:『アメリカへ空の旅』(懸賞として展開)
- 昭和36年 壽屋(サントリー):『トリスを飲んでHawaiiへ行こう!』(キャンペーン)
- 昭和40年 富士写真フイルム:『私にも写せますゥ』(フジカシングル8)
- 昭和43年 森永製菓:『大きいことはいいことだ』(森永エールチョコレート)
- 昭和44年 パイロット萬年筆:『はっぱふみふみ』
特に『はっぱふみふみ』は、当時を直接知らなくても言葉だけが残っている例として印象的でした。番組では、大橋巨泉のアドリブCMが子どもたちに広まり、会社の立て直しにつながった、というエピソードも語られます。
高度成長期の転換点:「モーレツ」から別の価値観へ
- 昭和45年 富士ゼロックス:『ビューティフル・キャンペーン』/『モーレツからビューティフルへ』
何を訴えたいのか分かりにくいのに印象に残る、という意味で象徴的な例として扱われていました。ゼロックスはプリンターのCMを「生き方のCM」として作った、という説明もありました。
“ゆっくり”へ向かう時代のコピー
- 昭和45年 日本国有鉄道:『ディスカバー・ジャパン』
- 昭和46年 モービル石油:『気楽に行こうよ俺たちは・・・』
- 昭和47年 日産自動車:『ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう』
- 昭和47年 伊勢丹:『こんにちは土曜日くん。』
- 昭和48年 総理府・全日本交通安全協会:『せまい日本 そんなに急いでどこへ行く』
忙しく生きることが前提だった空気から、少し違う方向へ価値観が動き始めたことが、コピーの並びからも伝わってきます。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
昔聞いたはずのキャッチコピーが、なぜ今でも頭に残っているのでしょうか。
この記事では、BSテレ東『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回の内容を整理し、落ち着いた感想をまとめます。
言葉の背景を知ると、キャッチコピーの面白さが少し違って見えてきます。
作品基本情報
【番組タイトル】武田鉄矢の昭和は輝いていた
【サブタイトル】伝説の名キャッチコピー
【放送日】2018年8月31日
本日のお客様
- 岡田芳郎:思い出のキャッチコピー=西武百貨店『おいしい生活。』(糸井重里)
- やくみつる:思い出のキャッチコピー=桃屋『何はなくとも江戸むらさき』
あらすじ
キャッチコピーは、その時代の価値観や空気を短い言葉に封じ込めた「記録」のようなものです。
番組では、戦前・戦中から戦後、高度経済成長期、昭和後期、そして平成の時代まで、印象に残る名コピーをたどりながら、言葉が生まれた背景と人々の暮らしの変化を振り返っていきます。
見どころ
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと昔から使われていた——その事実に驚かされる回でした。
時代背景とセットで見ると、当時の空気に合わせて言葉が作られてきたことがよく分かります。一方で、昔から続くコピーが今も語られていることを考えると、長い時間の中で社会の「継続性」が保たれてきた面も感じます。
また、言葉のインパクトが強すぎて、商品よりコピーだけが記憶に残っている例も多く、広告としての成功とは何か、という点も自然と考えさせられました。
番組で紹介された「伝説の名キャッチコピー」
コピーライターの元祖とされる人物と広告のはじまり
コピーライターの元祖と呼ばれる片岡敏郎は、自身を「アドライター」と呼んでいたと紹介されます。
- 森永ミルクキャラメル:『天下無双』+当時最強とされた横綱の手形を組み合わせた広告
- 赤玉ポートワイン:新聞に「赤玉ポートワイン」と●を載せた広告
- 日本初のヌードポスター:旅館で女優に6日間かけて少しずつ脱いでもらい制作
現代の感覚では極端に見えるものもありますが、当時の広告表現の「実験」が積み重なっていった流れが伝わってきます。
戦時中:制限下でのコピー
戦時中は制限が多く、「キャッチコピーの暗黒の時代」とも呼ばれていた、という説明がありました。
- そごう:『戦時中の生活必需品はそごう』
- 江崎グリコ:『ハイ・グリコガ一バンスキデアリマス』
- 日産自動車販売:『戦勝てり 我國産車 見よ!この威力この成果』
戦後:焼け野原に残った“問いかけ”広告
戦後の首都圏に、問いかけの言葉がいくつも書かれたというエピソードが紹介されます。
- 『初戀とはナンゾヤ』
- 『角萬とは何ぞや』
- 『結婚とは何ぞや』
これは東京・大塚にある結婚式場「角萬」の広告で、若い男性よりも若い女性が多かったため、女性に向けたコピーだったという話でした。
食糧難の時代を映す言葉
- 昭和19年『何がなんでも カボチャを作れ』
言葉だけを見ると強すぎる印象ですが、背景を知ると当時の切実さが伝わってきます。
昭和の名コピー:家電・生活・娯楽へ
- 昭和29年 ライオン歯磨:『アメリカへ空の旅』(懸賞として展開)
- 昭和36年 壽屋(サントリー):『トリスを飲んでHawaiiへ行こう!』(キャンペーン)
- 昭和40年 富士写真フイルム:『私にも写せますゥ』(フジカシングル8)
- 昭和43年 森永製菓:『大きいことはいいことだ』(森永エールチョコレート)
- 昭和44年 パイロット萬年筆:『はっぱふみふみ』
特に『はっぱふみふみ』は、当時を直接知らなくても言葉だけが残っている例として印象的でした。番組では、大橋巨泉のアドリブCMが子どもたちに広まり、会社の立て直しにつながった、というエピソードも語られます。
高度成長期の転換点:「モーレツ」から別の価値観へ
- 昭和45年 富士ゼロックス:『ビューティフル・キャンペーン』/『モーレツからビューティフルへ』
何を訴えたいのか分かりにくいのに印象に残る、という意味で象徴的な例として扱われていました。ゼロックスはプリンターのCMを「生き方のCM」として作った、という説明もありました。
“ゆっくり”へ向かう時代のコピー
- 昭和45年 日本国有鉄道:『ディスカバー・ジャパン』
- 昭和46年 モービル石油:『気楽に行こうよ俺たちは・・・』
- 昭和47年 日産自動車:『ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう』
- 昭和47年 伊勢丹:『こんにちは土曜日くん。』
- 昭和48年 総理府・全日本交通安全協会:『せまい日本 そんなに急いでどこへ行く』
忙しく生きることが前提だった空気から、少し違う方向へ価値観が動き始めたことが、コピーの並びからも伝わってきます。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。
昔聞いたはずのキャッチコピーが、なぜ今でも頭に残っているのでしょうか。
この記事では、BSテレ東『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回の内容を整理し、落ち着いた感想をまとめます。
言葉の背景を知ると、キャッチコピーの面白さが少し違って見えてきます。
作品基本情報
【番組タイトル】武田鉄矢の昭和は輝いていた
【サブタイトル】伝説の名キャッチコピー
【放送日】2018年8月31日
本日のお客様
- 岡田芳郎:思い出のキャッチコピー=西武百貨店『おいしい生活。』(糸井重里)
- やくみつる:思い出のキャッチコピー=桃屋『何はなくとも江戸むらさき』
あらすじ
キャッチコピーは、その時代の価値観や空気を短い言葉に封じ込めた「記録」のようなものです。
番組では、戦前・戦中から戦後、高度経済成長期、昭和後期、そして平成の時代まで、印象に残る名コピーをたどりながら、言葉が生まれた背景と人々の暮らしの変化を振り返っていきます。
見どころ
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと昔から使われていた——その事実に驚かされる回でした。
時代背景とセットで見ると、当時の空気に合わせて言葉が作られてきたことがよく分かります。一方で、昔から続くコピーが今も語られていることを考えると、長い時間の中で社会の「継続性」が保たれてきた面も感じます。
また、言葉のインパクトが強すぎて、商品よりコピーだけが記憶に残っている例も多く、広告としての成功とは何か、という点も自然と考えさせられました。
番組で紹介された「伝説の名キャッチコピー」
コピーライターの元祖とされる人物と広告のはじまり
コピーライターの元祖と呼ばれる片岡敏郎は、自身を「アドライター」と呼んでいたと紹介されます。
- 森永ミルクキャラメル:『天下無双』+当時最強とされた横綱の手形を組み合わせた広告
- 赤玉ポートワイン:新聞に「赤玉ポートワイン」と●を載せた広告
- 日本初のヌードポスター:旅館で女優に6日間かけて少しずつ脱いでもらい制作
現代の感覚では極端に見えるものもありますが、当時の広告表現の「実験」が積み重なっていった流れが伝わってきます。
戦時中:制限下でのコピー
戦時中は制限が多く、「キャッチコピーの暗黒の時代」とも呼ばれていた、という説明がありました。
- そごう:『戦時中の生活必需品はそごう』
- 江崎グリコ:『ハイ・グリコガ一バンスキデアリマス』
- 日産自動車販売:『戦勝てり 我國産車 見よ!この威力この成果』
戦後:焼け野原に残った“問いかけ”広告
戦後の首都圏に、問いかけの言葉がいくつも書かれたというエピソードが紹介されます。
- 『初戀とはナンゾヤ』
- 『角萬とは何ぞや』
- 『結婚とは何ぞや』
これは東京・大塚にある結婚式場「角萬」の広告で、若い男性よりも若い女性が多かったため、女性に向けたコピーだったという話でした。
食糧難の時代を映す言葉
- 昭和19年『何がなんでも カボチャを作れ』
言葉だけを見ると強すぎる印象ですが、背景を知ると当時の切実さが伝わってきます。
昭和の名コピー:家電・生活・娯楽へ
- 昭和29年 ライオン歯磨:『アメリカへ空の旅』(懸賞として展開)
- 昭和36年 壽屋(サントリー):『トリスを飲んでHawaiiへ行こう!』(キャンペーン)
- 昭和40年 富士写真フイルム:『私にも写せますゥ』(フジカシングル8)
- 昭和43年 森永製菓:『大きいことはいいことだ』(森永エールチョコレート)
- 昭和44年 パイロット萬年筆:『はっぱふみふみ』
特に『はっぱふみふみ』は、当時を直接知らなくても言葉だけが残っている例として印象的でした。番組では、大橋巨泉のアドリブCMが子どもたちに広まり、会社の立て直しにつながった、というエピソードも語られます。
高度成長期の転換点:「モーレツ」から別の価値観へ
- 昭和45年 富士ゼロックス:『ビューティフル・キャンペーン』/『モーレツからビューティフルへ』
何を訴えたいのか分かりにくいのに印象に残る、という意味で象徴的な例として扱われていました。ゼロックスはプリンターのCMを「生き方のCM」として作った、という説明もありました。
“ゆっくり”へ向かう時代のコピー
- 昭和45年 日本国有鉄道:『ディスカバー・ジャパン』
- 昭和46年 モービル石油:『気楽に行こうよ俺たちは・・・』
- 昭和47年 日産自動車:『ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう』
- 昭和47年 伊勢丹:『こんにちは土曜日くん。』
- 昭和48年 総理府・全日本交通安全協会:『せまい日本 そんなに急いでどこへ行く』
忙しく生きることが前提だった空気から、少し違う方向へ価値観が動き始めたことが、コピーの並びからも伝わってきます。
昭和後期:今も残る“言葉だけが強い”コピー
- 昭和51年 角川書店:『女性よ、テレビを消しなさい』
- 昭和52年 大日本防虫菊:『トンデレラ シンデレラ』
- 昭和55年 富士写真フイルム:『それなりに』(フジカラー)
- 昭和56年 西武百貨店:『おいしい生活。』
- 昭和57年 東陶機器(TOTO):『おしりだって、洗ってほしい。』
- 昭和59年 マルマン:『私はコレで会社をやめました』
- 昭和61年 大日本防虫菊:『亭主元気で留守がいい』(タンスにゴン)
言葉のインパクトが強く、内容よりもコピーだけが独立して記憶されているものが多いのも、この時期の特徴に見えます。
としまえん:ユニークなコピーとタレント起用
遊園地「としまえん」の、遊び心あるコピーもまとめて紹介されていました。
- 昭和61年『プール冷えてます』
- 平成2年4月1日『史上最低の遊園地』(エイプリルフール企画)
- 平成24年『ミゲル、泳ゲル。』
- 平成20年 温水洋一:『冷やし温水。』
- 平成21年 やくみつる:『プールで、やく。』
- 平成22年 デーブ・スペクター:『一刻も早くすべりたいです』
- 平成25年 田原俊彦:『としプー!』
- 平成22年 としまえん:『TSM48』(AKB48のもじり)
昭和42年:覚えやすさで残るコピー
- 昭和42年 サンスター文具 アーム筆入:『象がふんでもこわれない!』
「覚えやすい」「強い」コピーの代表例として、今も言葉が残っているタイプのコピーでした。
感想
子どもの頃に見た記憶のあるコピーが、実はもっと前から使われていたと知り、時間の長さに驚かされました。
時代背景と一緒に見ることで、言葉が「その時代の空気」に合わせて作られてきたことが分かります。同時に、長く残るコピーが今も語られていることを考えると、日本は比較的長い期間、同じ言葉を受け止められる社会だったのかもしれない、とも感じました。
コピーのインパクトが強い一方で、商品よりもコピーだけが記憶に残る例が多いのが面白いところでした。言葉としては成功しているのに、広告としての成果はどうだったのか、という疑問が自然に浮かびます。
コピー研究では、回りくどい表現や「何を伝えたいか分かりにくいもの」より、もう少し直接的な表現のほうが売上につながりやすい、という話もあります。それを踏まえると、今回取り上げられたような「よく分からないのに残る」コピーは、やはり例外的な強さを持っているのだと思いました。
ただ、言葉は覚えているのに元の商品の記憶が曖昧なものも多く、コピーの力が強いほど、逆に広告の目的から離れてしまう場合もあるのかもしれません。
結局、キャッチコピーは「言葉として残るかどうか」で語られがちです。けれど、その言葉が生まれた背景を知ると、ただの流行語ではなく、その時代の感覚を運んでくるものにも見えてきます。
まとめ
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「伝説の名キャッチコピー」回は、名コピーを並べるだけでなく、時代背景と結びつけて「言葉の生まれ方」を見せてくれる内容でした。
コピーはインパクトだけでなく、その時代の暮らしや価値観を映します。背景を知ったうえで改めて見ると、記憶の中の言葉が少し違って響く回でした。

