昭和のヒーロー番組は、なぜ今でも語り継がれるのでしょうか。
この記事では、BSテレ東『武田鉄矢の昭和は輝いていた』「懐かしのヒーロー!少年テレビ映画」回の内容を振り返ります。
月光仮面や隠密剣士が生まれた背景と、番組としての見どころが分かります。
作品基本情報
- 番組名:武田鉄矢の昭和は輝いていた
- 放送局:BSテレ東
- 放送日:2018年11月9日
- サブタイトル:懐かしのヒーロー!少年テレビ映画
本日のお客様
- 大瀬康一:月光仮面や隠密剣士の主役を務めた人物(テレビヒーロー第一号として紹介)
- 吉田照美:ラジオパーソナリティ(月光仮面の大ファン)
- 佐藤利明:娯楽映画研究家(解説や企画・脚本の執筆も行う)
武田鉄矢がゲストと共に映像を見ながら昭和を振り返る番組で、内容は「本当に昭和が懐かしい」という方向に徹しています。 ただ、武田鉄矢の進行が安定していて、結果的に最後まで見やすい回でした。
あらすじ
昭和30年代の懐かしのヒーロー「月光仮面」「隠密剣士」「怪傑ハリマオ」などを中心に、 当時夢中になった少年テレビ映画を語る特集回です。
武田鉄矢は、月光仮面がいた「空」や「野原」のイメージが頭に焼き付いていると話し、 番組はその記憶に寄り添うように、制作背景やブームの熱量を追っていきます。
見どころ
月光仮面が生まれた時代背景と制作の出発点
月光仮面が放送される時間には銭湯から人が消えた、というエピソードが紹介されるほどの人気ぶりでした。 企画の出発点としては、宣弘社の社長・小林利雄がテレビ時代を見据え、 KRテレビから「テレビ映画を作ってほしい」と依頼されたことが大きかったとされています。
また、月光仮面登場時に流れる曲は、川内康範自身が歌っていたという話も挙げられていました。
低予算の中で成立した「駆け出し集団の奇跡」
テレビ創成期で予算は15万円。大学卒業の給料が1万5千円程度だった時代という説明もあり、 いかに限られた条件で作られていたかが強調されます。
監督が船床定男、プロデューサーが西村俊一。こうした布陣のもとで成立したことが、 番組内では「駆け出し集団の奇跡」として語られていました。
ネーミングと衣装が作った“月光仮面”像
川内康範は当初「おどる仮面」を考えたものの、 西村俊一が「正体を隠し人を助ける」点から日光菩薩の「日光」を取り日光仮面へ、 さらに月光菩薩から月光仮面となった、という流れが紹介されます。
マントはスーパーマン、マスクは鞍馬天狗から発想を得たとされ、 大瀬康一が当時無名だったため顔を隠す設定になったという話も出ていました。
バイクは当時持っている人が少なく憧れの象徴で、 ナンバープレートは「む8328」だったことも具体的に触れられます。
前代未聞の撮影方法とロケ地の工夫
かなり小さいカメラで、1カット28秒しか撮れない機材で撮影していたという話が出ます。 この撮影を支えたのが船床定男の力だった、という紹介でした。
ロケ地も警視庁の屋上、小林利雄の自宅など、可能な場所を使いながら撮影していたとされ、 テレビ黎明期らしい手作り感が印象として残ります。
空前の月光仮面ブームと、作品に込めた理念
平均視聴率40%、最高視聴率67.8%という数字が紹介されます。 一方で当時は映画全盛期で、年間11億人が映画を観ていたとも語られ、 子ども向け作品が軽く見られがちだった背景もセットで語られていました。
そのため大瀬康一は「早く辞めたいと思っていた」という心情も紹介されます。 また、月光仮面の理念として、 「憎むな」「殺すな」「赦しましょう」という言葉が示されていました。
月光仮面以後の展開:遊星王子から隠密剣士へ
月光仮面は第5シーズンで終了し、1年4か月で終わったと紹介されます。 理由としては、真似をした子どもが怪我をすることもあったため、とされています。
次の作品として『遊星王子』が挙げられ、 宇宙連合に地球を所属させるために江戸時代ごろに来るが墜落して250年経ってしまった、という設定が語られます。 背景にはアメリカとソ連の宇宙開発ブームがあった、という説明でした。
怪傑ハリマオと隠密剣士:拡張する“少年テレビ映画”
昭和35年『怪傑ハリマオ』は実在した人物を元にした作品とされ、 主題歌も歴代カラオケランキングに入るほど知られている、という紹介がありました。
さらに、予算がないのに海外ロケを行い、 本来70万円のところ1500万円で海外ロケを実施したという話や、 英語のセリフに字幕がない、子どもが拳銃を撃つ、といった当時ならではの要素も挙がります。
昭和37年『隠密剣士』は忍者ブームを作った作品として紹介され、 蝦夷にのぼりアイヌを助けるストーリーであったこと、 当初は和風西部劇を目指したが失敗して第2部から忍者シリーズに変わったことが語られました。
水蜘蛛の術を初めて映像化した、忍者が刀を逆手に持つイメージを作った、 滝に油をまいて燃やすなど演出が激しかった、といった具体例も出ます。 脚本家の伊上勝が参加していた点にも触れられていました。
この後、西村俊一は『水戸黄門』を作り、その時の監督を船床定男が担当したという流れも紹介されます。 隠密剣士は2年半・128回放送され、海外では「THE SAMURAI」という名前で放送されたとのこと。 そして「日曜7時の子どもテレビは月光仮面から始まった」というまとめに繋がっていきます。

