高知県物部町の民間信仰「いざなぎ流」といった古い信仰の残る地で「太夫」と呼ばれる人々を通じて神と語らいながら暮らしている。

全ての場所に神がいるという『いざなぎ流』

この地域では平安時代から続くという神社のお祭りに神職が祝詞を行っているときに太夫といわれる人が入ってきて一緒に祝詞を唱える。

もともとは明治になるまでは太夫と呼ばれる神と対話できる人が祭りで祝詞を上げておりノトという道具に紙を卸し村人に祈りを与える。

神様には御幣と呼ばれる和紙で作ったモノに降りてきてもらう。御幣は神様ごと違い数々の御幣を立てて祝詞をささげることで神様がそれぞれの御幣に卸す。

御幣の形にはひだのようなものがたくさんあり、神様がおりてきやすいような意味がある。

いざなぎ流が係わる人々は物部と呼ばれ多くの集落が山奥がある。物部は険しい村に住んでいるために5人しか住んでいない村もある。

この地域の家の中には様々な神様が祭られており、もっともだいじな神様は天井裏にご先祖様を神として祭った”みこ神様”と”おんざき様”を祭っている。祭られている神様は恵比寿様や大黒様、天照大御神や弘法大師などさまざまである。

正月に来る年徳神を古いの中に祭るのだがクル場所が年ごとに違うために祭る場所も変わる。多くの神様を祭っているためになぜ祭っているのかがわからない神様もいる。

年に一度の祭りの日のためにそば餅を準備をし、お供え物には蕎麦を用いるのは山の中の地域では米が作れないために貴重な食料だったことからである。八幡様、さまざまな神様を祭りほかにも集落の禍なども祭られているとのこと

御幣の宿り木は様々り、神様のご機嫌によって様々な御幣が作られる。御幣の頭の形が四角であったり花の形であったりと様々、いざなぎ流が様々な信仰を取り込んで発展してきた。

そのため祭文(さいもん)という神様ごとの祈りの言葉やなぜここのたどり着いたかのいきさつなどが書かれている。

そば餅が残っているのは昔の蕎麦が江戸より前の伝統山奥で変化することなく続き、神様には清濁併せて正の気持ちも負の気持ちも神様とともに祭るのは日本らしい。

御幣や”ちちり”を見ていると昔見たアニメのムリョウ戦記を思い出す。

物部の地域に引っ越してきた人はいざなぎ流に家を払ってもらう儀式を行うならわしがあり、この儀式はかなり長い時間まで行われることもあり、テレビでは朝の8時から夜の9時までかかるとても長い時間がかかっていた。

文化人類学者の小松和彦氏は”いざなぎ流”には自然と文化のぶつかり合った場所として日本人の信仰の原点があると考えている。

太夫はいざなぎ流をこの地に伝えた”天中姫宮”の代わりに家ごとに神様との長い語らいを行われていた。伝統や伝承がそのまま残っていた真司が一般の家庭から離れて1つの祭りへとなっていく前の時代の風景があったのではないかと考えさせられる。

笹 中番集落 (ささなかがえしゅうらく)

4名の人が住んでいる集落
食べ物を自然の中で補っている集落。

山の恵みでとれた作物でほしいもを作ったり豆腐を作る。猟をすればまずは神様にささげ食べる。

いざなぎ流の始まりとよばれる天中姫宮は天竺まで旅をして修行し存在といわれ、姫宮の術の中には呪いを掛ける技術もある。呪いは自分や子孫に2倍になって返ってくるという戒めがある。

太夫は様々な依頼があり、新築の家を建てる日や先祖の夢の意味、子供の学校が受かるのかなどなど

神様という存在がどこまでも身近にいることを思わせる。人と神の境が限りなく薄くなっているところはより原始的なアミニズムのようでもあるが、神がモノに存在するという意識よりも、神とともに生活している人々のようで神話に出てくるような神と人が一緒にお酒を飲み楽しんでいる雰囲気のある不思議な信仰が『いざなぎ流』と思った。