世界中から見たらかなり変わった文化として山の中にある合掌造りの集落が取り上げられてはいるけれども、日本全国を見ると似たような地域は多少あったりする。それでも運良く取り上げられたのは山の中にあったために文化の変化が遅かったためじゃないだろうか。

昔ダムをつくりために村が沈んでいく映像を見たことがあるけれどもその時は合掌造りとほぼ変わらない建物が水の中に沈んでいった。それに今の日本人にはかやぶき屋根の家でもかなり珍しいためものなので密集してあれば観光地になるだろうし、それを見に来る外人には木造の建物自体が珍しい。

そう考えると観光地として成功したの早い時期からの観光への村自体の転換とライバルになる村が消えていったという時代の流れがこの集落を作ったように思える。

みにいったけれども、半分ぐらいは外国人なのでたぶん合掌造り集落はこれからも独自の文化を守りつつ観光地として栄えていく気がする。観光として仕事もあるのである程度人が維持できるとほかの地域と違って文化の継承ができるので、ほかの地域から見たら羨ましい話である。

岐阜県白川郷

合掌造りに住むという苦労、屋根裏に部屋を作るために特別の小屋を作って合掌造りを壊さないようにしてある。
その部屋は合掌造りを守るために炊いている囲炉裏のために煙くなるので空気清浄機を1年使っている。
囲炉裏使わず石油ストーブを使った年は屋根が虫にやられて暖炉に戻した。

村の正月には七福神が村を巡る春駒踊り

どぶろふ祭りのための獅子役者
14名しかなれない獅子役者は村の総代から声がからならないなれない

藁と木でできた建物である合掌造り作りの村は村人みんなで拍子木を打ちながら毎日3,4回村の隅々を見て回る。
村の中では線香花火も禁止されている。

村の秋葉神社には魚の入りづらい山の中の白川郷では卵を供える。

秋葉神社は有名な火の神様なので昔から白川郷が火に対して心を砕いているかがわかる。

花嫁行列

昭和30年ぐらいから梯子を横にして足止めをするという風習がある。

中学生が茅場で1日かけて茅を刈る。

お祭りの日
村で祝い事のある家が神様を招く。酒米や山の幸、海の幸を準備して神様を奉納している。

屋根の吹き替えや子供が生まれた家、七五三祝いなどの家が神様をお迎えする。

年に一度、放水銃を使って消火訓練をする。
合掌造りの家にはかならず1つ配置されている。

3つの誓い
『貸さない』『売らない』『壊さない』

合掌造りの白川郷だけではなく、まだ残る古い家並みの地域の観光地にはある決りな気がする。

白川村で唯一村として残っているのが荻町地区がよく言われる白川郷

五箇山には小さな合掌造りの家はあるけれどもあれほど合掌造りが残っているのは荻町地区

合掌造りの維持管理が難しいこと、山の中の不便な地域で生きることの難しさやダム開発によって消えていった。

11月中頃、飛騨紅カブと白菜、大根を塩で漬ける『切漬け』を作る。

仏壇を『盆』『正月』『ホンコ様』の時期に掃除を行う。
親鸞聖人をしのばれる報恩講のことを親しみをこめてホンコ様と呼ぶ。

1年かかて選りすぐりの食材を使ってもてなすために準備を行う。昔はどこででも行われていたが荻町地区でもこの習わしは5件になってしまった。

習わしとして出された料理のごはんと味噌汁は食べて他は持って帰って家族と食べる。そのため長く持つ料理が出される。

鐘撞のお堂もかやぶき屋根なことが印象的なこと、伝統を守り観光で生きていこうという決断によって残った白川郷が残っていことを感じさせられる。
まだまだ観光が盛んでもない、立地条件や日本人の国内の古い建物への関心の低さを考えると難しすぎる決断だったんじゃないだろうか。

今行くとイスラム圏と思われる人々や中国人、少しヨーロッパ系の人々が6、7割ぐらいで日本人は3割りぐらいだった。