タイトル】ラスト・デイズ・オン・マーズ

どんな映画にも見るときにどのような視点で見るかで全く違う感想を抱きます。この「ラスト・デイズ・オン・マーズ」はバクテリアに感染してゾンビのような存在が出てきますが、このゾンビに注目してしまうとホラーと勘違いしてしまい、ホラーを見る視点でこの映画を見るとあまり面白くない映画です。

しかし、この映画はもともとは仲間だった人たちの裏切り、バクテリアに感染した人が誰だったのかを疑惑にチームメイトへの疑惑とこの映画の視点はサスペンスなのです。

もう一度言いますがこの映画はSFサスペンス映画です。

ストーリー

火星の基地から宇宙船への帰還する最終日になり、半年間という期間の間に何も結果を出せなかった隊員はみなピリピリとした精神的にも圧迫感のある状態になっていた。そんな中で一人だけ自らの発見したバクテリアをほかの人たちに隠して、最後にそのバクテリアの採集に入った隊員が地割れに巻き込まれて死亡してしまう。
その事故をきっかけに結果の出せないことや火星に来るときに起きた事故でトラウマを抱えた者など、皆が自分のことしか考えずに発言を繰り返し喧嘩が発生。
そのさなか、バクテリアに感染された隊員で次々に仲間たちを襲いバクテリアを感染させていく。基地は感染者に破壊され生き残った隊員たちは火星から脱出するために救助船へと逃げるのだが・・・。

公開:2013年
制作国:イギリス


キャスト

ビンセント : リーヴ・シュレイバー
ブルネル : イライアス・コティーズ
レーン : ロモーラ・ガライ
キム : オリヴィア・ウイリアムズ
アーウィン : ジョニー・ハリス

感想&考察


半年の火星の調査を終えて火星から引き上げるまでの19時間を描いたSFスリラーである。見る人によっては火星を舞台にしたゾンビ映画にも見えるかもしれない。

作品の序盤から、クルーの関係性が火星の調査で結果を出せていないことやキムの自己中心的な性格によってあまり良い状態でないことが会話の端々からうかがえる。そんな中でクルーの一人が調査結果を隠蔽していたことからさらに悪化していくのがわかる。

この映画はゾンビが怖いとゾンビと戦ってどうにかするというよりは、登場人物の一人一人がどう考えているかがメインの映画のように思える。
クルーの一人が割れ目に落ちている現場に残ると言ってしまい。割れ目を要りて助けに行くか行かないかで悩んでいたり、キムがゾンビになったクルーを引き付けている部屋の扉をロックして見殺しにするアーヴィン、助けてもらえずにゾンビとなってしまうキム。ゾンビになることが拒み自ら自殺を図るレーン彼らの行動は映画の中で丁寧に描かれてはいないがそのキャラクターの性格や人間関係が原因となっている。

主人公であるビンセントはというと、宇宙船でのトラブルでの体験から閉鎖的な空間、気圧の変動に対してのトラウマを持っている。このトラウマについては、作中の会話の端々とビンセントのフラッシュバックで説明されており、作中では2つのトライマの克服が描かれている。原作の小説ではどうだったかは知らないが、このトラウマの克服は映画としては必要だったかが疑問に残る演出に思える。作中トラウマが原因で大きな参事を招くことも危機的状況になることもなく、映画としての尺の関係かトラウマは多少の呼吸困難と少しの躊躇だけで簡単に乗り越えているよう思えるほど重要視されているとは思えない。もしかしたらトラウマができた体験からのレーンの関係性を描きたかったのかもしれない。
火星の演出はというと風景は火星てこんなところだろうなと思わせる光景であるが、重力の影響や基地の電力、 ローバーのエネルギー供給としてのソーラーパネルの小ささなどいろいろと納得いかないところもあるがSFだからという言葉でごまかすことにする。


さて、この作品を見て3つの疑問が湧いてきた。
・ゾンビの原因であるバクテリアはどんな存在だったのか?
・アーウィンはなぜキムを見殺しにしたのか?
・ビンセントは生きることをあきらめたのか?

・ゾンビの原因であるバクテリアはどんな存在だったのか?


火星の地下で眠っていたバクテリアがクル-を操りまだ生きている人たちを襲うのだが、バクテリアがなぜこのような行動に出たかが一切わからないとうなぜな存在で、作中には一切考察などはされていない。
バクテリアに感染され死に至るとゾンビになるのだが、前段階として大切な事柄を思い出せなくなってしまう。しかし、映画内ではローパーの中に入ってきたり、爆薬を使って基地を爆破しているところを見るとバクテリアが宿主の知識を理解している。また基地がゾンビに襲われるシーンと最後のキムのゾンビが出るシーンでは、ビンセントを見つけて襲うよりも人の死体から体液を吸うことを優先している。ゾンビになる前兆として水を欲しがるシーンを見てもバクテリアの行動原理は水を得ることであることが分かる。
ではどうして生物を操ることができるのか?という謎が残る。バクテリアに感染されたからと言って体を自由に操られるというのは不思議なはなしである。
考えられることはこのバクテリアが火星の表面に存在していた頃には、火星には何らかの生物がいたのではないかという仮説が立てられる。生物がいたのであれば地上にいたことは生物に感染して操ることができる存在へと変化していった可能性も考えられる。

アーウィンはなぜキムを見殺しにしたのか?


キムがゾンビを引き付けて部屋から出ようとしたところをアーウィンがその部屋の扉にロックを掛けて逃げてしまう。彼は恐怖に駆られての行動だったのか、それとも狙って行ったのかである。普通に見ていると彼が恐怖に駆られて行ったようにも思えるが、基地から脱出してからの彼の行動を考えると狙って行った可能性も考えられる。
作中での彼の行動は人との衝突をおこさないような行動が見られるが、基地を脱出してからは足を怪我して感染している疑いのあるレーンを見捨てるようにビンセントに促したり、ビンセント達を騙してローパー2で逃げている。またレーンを見捨てるように示唆したとき、アーウィンが首を怪我しているのではとレーンに問い詰められ首を見せるように言われても別の話にごまかす。
こういった行動から彼自身はずる賢い性格であり、キムを見捨てたのも彼女が他のクル-と違い感情ではなく論理で動く性格なために助けると宇宙船に乗り込む前に自分がブルネルに首を絞められたときにケガをしていることに気づかれるのではないかという考えがあったのではないかという邪推できる。

ビンセントは生きることをあきらめたのか?


最後に彼はゾンビとなったアーウィンとの争いで顔に小さな傷を負ってしまう。レーンやアーウィンといった仲間が傷から感染することを理解している。彼は宇宙船への連絡を行い自らも感染している可能性があること、感染しているなら救助船オーロラごと大気で燃え尽きると通信して映画は終了します。
彼が生きることをあきらめたかと言えば、頬の傷を手当するときに、レーンにしたように自らに抗生物質を注射するシーンがあり彼が最後まであきらめないことを教えてくれています。

作品全体としてはイギリスの映画にしては、カットがハリウッド映画ほどではないが細かく切られており、カットの切られている意味が分かりやすい。ゾンビ映画のように語っているが原作は近未来サスペンスであり、よくあるゾンビ映画のように主人公がゾンビに戦いを挑んだりはしない。
サスペンス映画として映画を見ると、バクテリアに抗生物質が効くのか?仲間の一人は感染しているのではないのか?などしっかりと疑問を見ている人たちに与えられるように作られている。

残念なことは、世間ではサスペンス映画というよりは、ゾンビ映画ととらえられているために面白くないと認識されている。

ゾンビ映画としてみると確かに面白くない作品ではある。