NHKの番組、タモリさんが趣味の街歩きをしながらタモリさんの趣味である地層と坂道などからその街に残る歴史の痕跡を探す。毎回色々なテーマがあり専門家を呼ぶのだがあまりにタモリさんの知識が深いために話の前から答えを出してしまうことが多いという番組の進行を無視してしまうことが多いい。
司会役のアナウンサーは基本的に番組が何をやるのを知らず、新鮮なリアクションのために事前に調べることも禁止されており、台本はA4用紙1枚程度というだけあって毎回知っていることは知っているといい知らないことには素直に驚くのが良い。
【 MC】
タモリ
NHKアナウンサーの林田理沙
気温0度で抹茶ソフトクリームを食べるならが今回は宇治川からスタート
旅のお題 タモテバコ!
【 なぜ宇治は”天下の茶どころ”になった? 】
最初の案内人は 杉本宏さん 京都造形芸術大学教授 考古学
宇治茶は高級抹茶のイメージを作ってきた
始まりは明恵という鎌倉時代の人物がお茶の栽培に適した場所を探して栂尾でお茶の栽培を始めそれから宇治などに広がっていった。
江戸時代からお茶を出していた証拠として浮世絵「宇治川両岸一覧」に今も残るお店が残っている。このお店は創業800年のお店で24代目
豊臣秀吉から頂いた鶴瓶や一休が彫った像などが飾ってある。
お茶は30gで5400円ぐらいする。
お茶の産地は日本全国あれどもなぜ宇治が天下一のお茶どころになったのか!!
まずは平等院鳳凰堂(1053年)に移動
もともとは藤原道長の別荘で宇治はお茶が広がる前からセレブの別荘地であった
平等院鳳凰堂はもともと極楽浄土をイメージしているので水は欠かせない。この水はお茶にもかかわりがありこの水は湧き水だった。
湧き水が出る土地は扇状地であり扇状地の終わりであるところに平等院鳳凰堂は建っている。
小石が混じった水はけのよい地であるためにお茶が育つのによい土地になっている。
地形を作って今は見えなくなった川を求めて移動
現在は川は暗渠になってしまっていているが崖があり川が地図を見ると崖を削っているのがわかる。
鎌倉時代も終わり貴族から武士の時代になるにつれ宇治の茶は多くの武将に愛され天下一のお茶呼ばれるようになった。
お茶で繁栄した痕跡を探して建物の中の大きな梁を見て数件ある家が実は昔1つの長屋門、ここに住んでいいたのが商人の茶師で茶師は帯刀を許されていた。
宇治の南側の茶園である奥ノ山茶園を訪ねて、室町時代から残っている茶の木を見る。
お茶の栽培としてお茶の日光を量を調節して1ヶ月ぐらいは日陰にすることでうまみ成分であるテアニンが苦味であるカテキンに変化しないようにすることで美味しく作ることができる。
昔は被いに藁をふることでやる覆下栽培を行っていた。
茶園の段丘と扇状地の茶園で美味く味の違うお茶を作ることができる。
扇状地は味が濃いお茶と段丘は香りのよいお茶
この2つができる。
このあと抹茶を作る工場を見に行くとそこでは抹茶をすりつぶす臼を見学
奥の部屋で日の光に邪魔されずにお茶の品質をしたらお茶のブレンドをしたりする部屋を拝見
扇状地と段丘のお茶を混ぜて両方のいいとこどりをすることで最高の抹茶を作る。