NHKの『ブラタモリ』は、タモリさんが街を歩きながら、その土地に残る歴史の痕跡を探していく番組。
ただ名所を紹介するだけではない。
地層、坂道、川、地形、古い道筋などから、その街がどう発展してきたのかを読み解いていくところが面白い番組です。
しかも、タモリさん自身の知識が深いため、専門家が説明する前に答えに近いことを言ってしまうこともあり、番組の進行を少し無視してしまうような場面もありますが、そこも含めて『ブラタモリ』らしさだと思います。
一方で、司会役のNHKアナウンサーは、基本的に番組内容を事前に知らされていません。
新鮮なリアクションを出すために、事前に調べることも禁止されているとのこと。
今回のアナウンサーは林田理沙さん。
知っていることは知っていると話し、知らないことには素直に驚く。
その反応が、タモリさんの知識量との対比になっていて見やすかった。

番組名:ブラタモリ
放送局:NHK
今回の舞台:宇治
旅のお題:なぜ宇治は“天下の茶どころ”になった?
出演:タモリ、林田理沙アナウンサー
主なテーマ:宇治茶、平等院鳳凰堂、扇状地、段丘、茶師、抹茶
今回の舞台は宇治
今回の舞台は、京都府の宇治。
気温0度の中で抹茶ソフトクリームを食べるという、なかなか寒そうな始まり方でした。
宇治川からスタートし、今回の旅のお題が発表されます。
今回の旅のお題
なぜ宇治は“天下の茶どころ”になった?
宇治といえば、やはりお茶のイメージがあります。
特に高級抹茶の産地として知られていますが、番組ではその理由を歴史と地形の両面から探っていく。
宇治茶の始まりと高級茶の歴史
最初の案内人は、考古学が専門の杉本宏さん。
宇治茶の歴史をたどると、鎌倉時代の明恵という人物が重要な存在として浮かび上がる。
明恵はお茶の栽培に適した場所を探し、栂尾でお茶の栽培を始めました。
そこから宇治などへ、お茶の栽培が広がっていったとされています。
宇治茶は、ただのお茶ではなく、高級茶としてのイメージを作ってきた存在でもあります。
番組では、江戸時代からお茶を出していた証拠として、浮世絵『宇治川両岸一覧』に描かれた店も紹介されていました。
その店は現在も残っており、創業800年。
24代目が店を継いでいるという長い歴史があります。
店内には、豊臣秀吉からもらった鶴瓶や、一休が彫った像なども飾られていました。
お茶の値段も30gで5400円ほどするということで、宇治茶が高級品として扱われてきたことがよく分かります。
平等院鳳凰堂と水の関係
次に向かったのは、平等院鳳凰堂。
平等院鳳凰堂は1053年に建立された建物で、もともとは藤原道長の別荘でした。
つまり、宇治はお茶が広がる前から、貴族たちに愛された別荘地だったわけです。
平等院鳳凰堂は極楽浄土をイメージして作られているため、水が欠かせません。
池に映る鳳凰堂の姿も含めて、浄土の世界を表現している建物です。
そして、この水が宇治茶とも関係していました。
平等院鳳凰堂が建っている場所には、かつて湧き水がありました。
湧き水が出る土地ということは、そこに独特の地形があるということです。
宇治茶を育てた扇状地
番組で重要なポイントになったのが、宇治の地形。
宇治には扇状地があります。
扇状地とは、川が山から平地へ出るところで、土砂や小石が扇のように広がってできる地形です。
この扇状地の終わりにあたる場所に、平等院鳳凰堂が建っていました。
扇状地は小石が混じり、水はけがよい土地です。
そして、この水はけのよさが、お茶の栽培に向いていました。
つまり、宇治がお茶の産地になった理由は、単に歴史があるからではありません。
お茶に向いた土地だったからこそ、宇治茶は発展していったのです。
こういうところが『ブラタモリ』らしい面白さです。
名産品を「有名だから」で終わらせず、地形から理由を見つけていきます。
今は見えない川の痕跡を探す
番組では、今は見えなくなった川の痕跡も探していました。
現在、その川は暗渠になっており、地上からは見えません。
しかし、周囲には崖が残っていて、地図を見ると川が土地を削った跡が分かります。
普段歩いているだけでは気づかない地形の変化。
でも、そこには昔の川の流れが残っている。
こうした痕跡を見つけていくところは、いかにもタモリさんが好きそうな展開。
武士にも愛された宇治茶
鎌倉時代が終わり、時代が貴族から武士へと移っていく中で、宇治茶は多くの武将にも愛されるようになります。
やがて宇治の茶は、「天下一のお茶」と呼ばれるようになりました。
番組では、お茶で繁栄した痕跡として、古い建物の中にある大きな梁も紹介されていました。
一見すると数軒の家に見える建物が、実は昔はひとつの長屋門だったという話も出てきます。
そこに住んでいたのは、茶師と呼ばれる商人でした。
茶師はお茶を扱う重要な存在であり、帯刀を許されていたそうです。
お茶が単なる飲み物ではなく、権力や文化と深く結びついたものだったことが分かります。
奥ノ山茶園と覆下栽培
次に訪れたのは、宇治の南側にある奥ノ山茶園。
ここには、室町時代から残っている茶の木がありました。
長い歴史を持つ茶園であり、宇治茶の伝統を感じさせる場所です。
お茶の栽培で重要なのが、日光の量を調節することです。
お茶は、日光を浴びると、うまみ成分であるテアニンが、苦味成分であるカテキンに変化していきます。
そこで、1か月ほど日陰にすることで、うまみを残したお茶を作ります。
昔は、藁を使って茶畑を覆う「覆下栽培」が行われていました。
この工夫によって、抹茶に向いたうまみの強い茶葉が作られていたわけです。
扇状地と段丘で味が変わる
さらに面白かったのは、同じ宇治でも地形によってお茶の味が変わるという話です。
- 扇状地で育つお茶:味が濃い
- 段丘で育つお茶:香りがよい
つまり宇治では、地形の違いによって性質の異なるお茶を作ることができました。
この違いが、宇治茶の奥深さにつながっています。
ただ「宇治のお茶はおいしい」というだけではなく、
扇状地の茶と段丘の茶、それぞれに違った良さがあるというのが面白いところです。
抹茶作りとブレンドの技術
最後に訪れたのは、抹茶を作る工場。
そこでは、抹茶をすりつぶす臼を見学していました。
抹茶は、ただ茶葉を粉にすればよいというものではなく、丁寧にすりつぶして作られます。
さらに奥の部屋では、日の光に邪魔されない環境でお茶の品質を確認し、ブレンドを行っていました。
扇状地のお茶と段丘のお茶。
味が濃いお茶と、香りのよいお茶。
それぞれの良いところを組み合わせることで、最高の抹茶を作っていく。
このブレンドの技術も、宇治茶の価値を支えているのだと思います。
まとめ
今回の『ブラタモリ』宇治回は、宇治がなぜ「天下の茶どころ」になったのかを、歴史と地形の両方から読み解く内容でした。
宇治には、平等院鳳凰堂に代表される貴族文化の歴史があります。
そして、お茶の栽培に向いた扇状地や段丘という地形があります。
さらに、茶師たちの存在や、覆下栽培、抹茶のブレンド技術といった人の工夫も加わりました。
宇治茶の名声は、単に「昔から有名だった」から生まれたものではありません。
土地の条件、歴史、技術が重なった結果として、天下の茶どころになったのだと分かります。
『ブラタモリ』らしく、今回も地形を見ることで、街の歴史が立体的に見えてくる回でした。
宇治茶を飲むときに、扇状地や段丘のことまで思い出してしまいそうです。

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