NHK 新日本風土記『白川郷』(2014年放送)の感想と内容
世界から見ると、山の中に合掌造りの集落が密集している白川郷はかなり珍しい文化として紹介されることが多い。
ただ、日本国内を見れば、似たような地域は多少なりとも存在していたはずで、白川郷がここまで残ったのは、山間部にあり文化の変化が比較的遅かったことも大きいのではないかと思う。
昔、ダム建設によって村が水没していく映像を見たことがあるが、その中には合掌造りに近い家も多く、水の中に沈んでいった。
現在の日本では、かやぶき屋根の家自体が珍しい存在で、それが密集して残っていれば観光地になるのも自然な流れだろう。さらに、海外から来る観光客にとっては木造建築そのものが珍しい。
早い時期から観光へと村全体が転換したこと、そして周囲の似た集落が時代の流れの中で消えていったことが、現在の白川郷を形づくったように思える。
実際に訪れた際も、観光客の半分ほどは外国人だった。合掌造りの集落は、これからも独自の文化を守りながら観光地として続いていくのだろう。
観光によって仕事が生まれ、住む人が維持されることで文化継承も可能になる。ほかの地域から見れば、うらやましい環境とも言える。
白川郷の暮らしと合掌造りの苦労
合掌造りの家に住み続けるのは楽ではない。屋根裏に部屋を作るために、建物を壊さないよう特別な小屋を別に設けている家もある。
囲炉裏を使うため煙がこもりやすく、空気清浄機を一年中使っているという話も紹介されていた。
一度、囲炉裏を使わず石油ストーブに切り替えたところ、屋根が虫にやられてしまい、再び囲炉裏に戻したという話も印象的だった。
火を守る村の習慣
藁と木でできた合掌造りの集落では、火事は最大の脅威。
村人たちは拍子木を打ちながら、1日3〜4回、村の隅々まで見回る習慣があるという。
村内では線香花火すら禁止されている。
また、秋葉神社は火の神様として知られ、魚が手に入りにくい山間部のため、卵を供える風習も紹介されていた。
さらに、合掌造りの家には必ず放水銃が備えられ、年に一度は消火訓練も行われる。
受け継がれる祭りと行事
正月には七福神が巡る春駒踊りが行われる。
どぶろく祭りでは、選ばれた14人だけが獅子役者になれるという決まりがあり、村の総代から声がかからなければ務められない。
また、昭和30年頃から続く花嫁行列では、梯子を横にして花嫁行列を足止めする風習もある。
中学生が茅場で一日かけて茅を刈るなど、次世代へ技術を引き継ぐ取り組みも続いている。
祝い事のある家では、酒米や山の幸、海の幸を準備し神様を招く風習も残っている。
屋根の葺き替え、出産、七五三などをきっかけに神様を迎えるという。
残された誓いと地域の選択
白川郷には、
- 貸さない
- 売らない
- 壊さない
という三つの誓いがある。
古い町並みを残す観光地には似た決まりがある印象だが、それを守り続ける難しさも感じる。
現在、白川郷として知られるのは白川村荻町地区で、五箇山にも合掌造りの家は残っているものの、これほど集落として残っている場所は少ない。
維持管理の大変さ、山間部での生活の厳しさ、ダム開発などによって多くの集落が姿を消したことも紹介されていた。
冬支度と信仰の習わし
11月中頃には、飛騨紅カブや白菜、大根を塩で漬ける「切漬け」を作る。
また、仏壇は「盆」「正月」「ホンコ様」の時期に掃除される。
ホンコ様とは親鸞聖人をしのぶ報恩講を親しみを込めて呼ぶ言葉で、一年かけて選んだ食材で客人をもてなす。
出された料理は、ご飯と味噌汁をその場で食べ、ほかは持ち帰って家族と分けるため、日持ちする料理が並ぶという。
現在、この習わしを続ける家も荻町地区では5軒ほどに減ってしまった。
観光地として生き残った白川郷
鐘撞き堂までかやぶき屋根であることも印象的だった。
伝統を守りながら観光で生きていくという決断によって、白川郷が現在も残っていることを強く感じる。
国内では古い建物への関心がそれほど高くないことや、立地の厳しさを考えると、この選択は相当難しい決断だったのではないかと思う。
現在訪れると、イスラム圏と思われる観光客、中国やヨーロッパ系の観光客が6〜7割ほどを占め、日本人は3割ほどという印象だった。

