天国にいちばん近い教会「善長谷教会」で朝の早くからミサの準備を行う場面から始める。先祖伝来の教会の維持管理も市民の人たちが自分たちの教会として守っていく。田舎の神社の管理と何もかわらない。それは宗教が何であろうと、やることはどこの田舎と変わらない。

多くの人たちがお年寄りなのを見るといずれはこの文化も廃れるのだろうなという印象を感じる。隠れきりスタンは九州に多くあった。長崎は今でも有名だがそれ以外でもいくつかあり、様々な変容をして原型がやっと分かるような宗教へと山の奥の村で変化したところもあった。江戸時代禁止され永らく守り伝えたその宗教は明治以降、禁止されなくなると自然と消滅してしまった。

隠れキリシタンのように外圧からの開放されほっとかれると自然消滅してしまう。キリスト教はローマ時代に弾圧されたが、国教として扱われるようになったので開放されたあとに伝播する機会があった。

その御蔭で世界で最も勢力のある宗教になったが、同時にローマ皇帝の都合のよい内容がニカイア公会議で決めらることになったのだ。

なんて事を考えてしまった。


長崎カトリック神学院、日本で3つしかない神学校、神父の紹介で入れるらしい。そこでの生活は自分たちですべて準備をして自制心を鍛える生活をしているけれども、その神父になるまえに諦めたり、誘惑に負けてしまう人も多いようだ。そしてどこも変わらないがこういった職業はだんだんなる人達が減っている。

あと、日本で神父を目指す若者がいることに驚かされる。そしてそこへ様々な寄付の品が届くのを見るとキリスト教の精神を感じる。

ところでカトリックの神父は男性だけがなれる職で司祭とかにもなれない。女性がなれるのはシスターだけなのだけど、男女平等が叫ばれてる昨今としはどうなってるんだろうと思ったりする。

プロテスタントは教派によっては女性でもなれたりして子供もいたりするのでこの辺は宗教改革での立場の違いかなと。


オラショとは日本のキリシタンの祈りを指す言葉

生月島での隠れキリスタンの生活としてはオラショという祈りの言葉は日本語、ラテン語、ポルトガル語が混じり合う祈りの言葉。この祈りの言葉を読むのは仏壇の前なのが隠れキリスタンの名残。

みんなが集まり3ヶ月に1度、おしかえとよばれる運勢を占う行事では御札様とよばれる札をマリア十五玄義図に照らし合わせて運勢を占うというのが日本での宗教の変化を感じる。

明治41年 旧野首教会(野崎島)
明治14年 旧五輪教会(久賀島)
大正7年 田平天主堂(平戸市)
大正8年 頭ヶ島天主堂(新上五島町)

旧野首教会は明治以降建てられたのに内部がゴシック建築なことに驚きがある。田平天主堂は信者みずからレンガを運んで作られている。形はブールジュ大聖堂のように奥に長い建築がされていて出てくる教会の建物が当時の最新ではなく、少し前の建物の建築様式なことが気になる。


久賀島に神父になって地元の島に帰ってきて、浜脇教会で週に2回ミサを行っている。
大学に通ったりとさまざななことにお金がかかるために、彼が神父になるために家族の助けがあってこそなれるのを見ると貧乏人の職じゃないなと、あとは母親が神に子供を捧げることへの複雑な心境をとろするのを見てると、彼等の言う神はカトリックならキリストではないのかなと、カトリックはキリストの父親の神様ではなく、人類の代わりに人類の罪を引き受けてくださったキリストに感謝を捧げる宗教だと思っていたのだけど、そのへんがどうなっているのかがよくわからない。


「大浦天主堂」

江戸時代が終わる前に建てられた教会、江戸時代が終わって明治に入ってすぐのころもキリスタンを取り締まっていた事を考えるとなかなか凄いことに思える。

江戸の時代を生き残った隠れキリスタンがたずねてきたという話で尋ねられたのがマリア像がどこにあるのかという話を見ていると、仏教もそうだがキリスト教も様々な分派が生まれたことがわかる。

キリスト教の世界の終わりで助かる人たちは決まっているという考えからそれだったらキリストの母であるマリア様に祈れば助けてもらえるのではというコネ的な考えから派生したマリア信仰、此の当時日本に残ったのがマリア信仰なのは他の海外で派生したキリスト教もマリア信仰へと変容していることがあるので同じような流れだったのかも知れない。


日本でのキリスト教徒を報告したさいにローマ法王ピオ9世は
「キリスト教は極めて激しい迫害を受けた地で最も深い根をはった」
なかなかに色々と含蓄のある言葉である。


クリスマスでは隠れキリシタンの方々は12月20日にお誕生というお祝いをするけれども、24日にはなにもしないとのこと、宗教としてどう隠れキリシタンとして続けていくかを考え変化していったと考えるとなんとも言えない話である。

個人的な意見だけど、正直、宗教は怖いなと言う印象が強くなった。

長い江戸の時代によって変容したキリスト教は日本ではアダムが楽園を追われたのではなく武者修行にでたとか色々な改変がされているそうなのでそのへんがその土地の風土に合わせて変化したと思うとどんなモノでも変化していくのだなと。